水槽脳の栓を抜け

SF作家 草野原々のブログ

【論文まとめ】「汎心論と汎原心論/Panpsychism and Panprotopsychism」【David J. Chalmers(2016)】

心の哲学の代表的論者、デイヴィッド・チャーマーズの論文です。汎心論と汎原心論、ラッセル的一元論、汎質論についての議論がまとめられています。

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チャーマーズは『意識する心』と『意識の諸相』が翻訳されています。

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【論文まとめ】「『コウモリであるということはどのようなことか?』統合情報理論からの回答/“What is it like to be a bat?”—a pathway to the answer from the integrated information theory【Naotsugu Tsuchiya(2017)】

今回は神経科学者・土屋尚嗣さんの論文をお送りいたします。

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論文の背景

 トマス・ネーゲルという哲学者は1974年に「コウモリであるということはどのようなことか?」という記事を書いた。コウモリは超音波で周囲の環境を知覚しているのだが、それはいったいどのような体験なのだろうか?この問題に答えるには、脳の状態と経験とを結びつけるような法則を与える理論が必要だ。
 もちろん、コウモリの意識について直接テストをすることはできないが、それを言うならば宇宙の起源や生命の進化についても直接テストをすることはできない。しかし、間接的な証拠から理論をテストすることはできる。意識についても同じ方法がとれる。経験的に有望な理論を直接テストできない問題に当てはめるのだ。ここでは意識の統合情報理論(IIT)を使う。
 この問題を解決する理論は脳活動のみを見て他者の経験状態を予測できるものでなくてはならない。どんな種類の経験かを脳活動のみから予測できれば理想的だ。
 さらに、動物の意識について予測できるものでなくてはならない。

 候補となる理論はいくつかある、それらの多くは「意識と脳のパズル」を解き明かしていない。意識のない夢のない眠りのなかでも人間脳は活発に活動している。そのため、単純に脳活動が多ければ意識となるとする理論は間違いだ。
 また、脳活動の『複雑性』を意識の必要条件または十分条件とする理論がある。しかし、大脳皮質の視床システムより四倍複雑な小脳が欠けていたとしても意識に影響を与えない。
 ニューロンの活動同期理論やグローバルな情報の有効性理論、再帰的フィードバック活動理論などはニューロンの短期間の活動や異なる脳部分でのコミュニケーションの促進といったものに意識の木曽を置いてきたが、それらは夢のない眠りでも起こっていることだ。また、別々の感覚の現象的差異を説明することはできない。脳のなかで同じようなメカニズムが起こっているのに、視覚と聴覚はどうして違うのか? について答えられる理論でないとダメだ。

 この問題を取り扱える理論として統合情報理論がある。統合情報理論現象学からはじまる。現象を観察して、意識には次の五つの根本的な性質があることがわかるだろう。それらを公理とするのだ。
①存在:意識は内在的に存在し、その経験は疑い得ない。
②構成:いかなる経験も様々な様態(視野、音など)から構成されており、各様態には様々なアスペクトがある(視覚的動き、表面、対象、色など)
③情報:意識は情報的であり、ある一つの経験は他の経験を排除した上で成り立つ。
④統合:経験の部分は、全体として一つに結びついている。異なったアスペクトバラバラではなく、結合した全体として統合される。
⑤排除:意識は有限の時空上のつぶであり、他の意識とはオーバーラップしない。

 統合情報理論は、この公理のもとで意識を発生させるメカニズムを探し出す。そのとき、重要になるのが統合情報Φである。
 例えば、上にあるランプと下にあるランプが結合されているところを考えよう。ランプはオンかオフの状態しか取らない。このとき、ありえる可能性は以下の四種類である。
上オン、下オン
上オン、下オフ
上オフ、下オン
上オフ、下オフ
 ランプは単位時間後に相方の状態をコピーする。現在状態が上:オン、下:オフであれば、その前の過去状態は上:オフ、下:オンである。もし現在状態が不明であれば過去状態も不確実となる。不確実性の程度をエントロピー(H)とする。エントロピーはシステムの可能なバリエーションを量化したものであり、log2(可能な状態数)で与えられる。
ここではlog2(4)=2 である。
 現在の状態を知った後のエントロピーは条件付エントロピー(H*)と呼ばれる。ここではH*=log2(1)=0
『情報』の概念は不確実性を減少させるものとして定義できる。数学的には相互情報Iと呼ばれ、H-H*として定義できる。ここではH-H*=2
 統合情報Φは全体システム由来の情報量Iから部分システム由来の情報量I*を引いたものである。Φ=I-I*。上の例では、もし二つのランプが分離されれば、各々のランプは現在状態を知ったとしても過去状態を知ることはできないためI*=0、ゆえに、Φ=2。Φはもしも全体システムが部分にカットされたらどのくらい情報が失われるのかを示す。
 Φはまた、システムの全体だけではなく、いかなるサブセットにおいても計算することが可能である。

 加えて、最小情報分割(MIP)と排外原理がある。
 MIPとはI*(部分システム由来の情報量)を計算するときにシステムをカットする最も適切な方法である。
 たとえば、先ほどのランプの例で、上がオン・下がオフの組と、上がオフ・下がオンの組が左右に並んでいたとする。 
 このとき、MIPは左右にカットすることである。そのとき、全体のφは0ということになる(残りの部分システムのφは減らないので)。間違って上下にカットすれば、全体のφは0より多くなる(残りの部分システムのφが大きく減るため)。
 MIPは排外原理と関係する。排外原理によれば、φが最大値をとるサブセットシステムが排外的な現象的性質を持つ。φが最大値をとるサブセットを『複合体complex』と呼ぶ。
 たとえば、互いに固く結びついたABCというシステムがあるとする。どの結びつきをカットしてもφの値を大きく下げる。ここで、Cと非常に弱く結びついているDという部分があるとしよう。ABCとDをカットしてもABCのφはほぼ変わらない、ゆえにこのとき全体システムABCDのφはほぼゼロである。複合体の外にある神経相互作用はいかなるものであろと非意識的なプロセスとなる(たとえば、脳の外にある網膜が独自の意識を持つことはない)
 IITによれば、感覚様態はその感覚に関わるニューロンの活動のみならず、他のニューロンとの相互作用によって生まれる。視覚は視覚ニューロンだけではなく、聴覚ニューロンなど複合体の他の領域との相互作用により生まれる。しかし、複合体の外での相互作用は非意識的プロセスとなる。

 

著者の主張
 IITを使って『コウモリであるということはどのようなことか』を経験的に理解することができる。

 

なぜそういえるのか?
 著者はIITを使って、簡単な課題をしている人間の脳活動パターンと言語による報告がIITの予想に即していることを示した。
 だが、コウモリに適用するためには非報告パラダイムが必要である。非報告パラダイムとは指示の上での意識操作や、身体シグナル(眼球運動など)を通じた意識内容の推定などを主軸とするデータ収集方法である。非報告パラダイムが必要なのは、報告行為と固く結びついている脳領域と意識の領域が別々であるとされているからだ。
 非報告パラダイムは動物に対して絶大な威力を発揮する。一度パラダイムを確立すれば、経験内容と統合情報パターンを比較することができる。だが、その比較方法はどのようなものなのか? 数学的な形式化ができる。カテゴリー理論を使うのだ。

 カテゴリー理論とは集合論のフレキシブルなバージョンである。これを使うと、異なる理論の間での定理の翻訳が可能となる(代数学幾何学のあいだ、論理学と量子力学の間など)。カテゴリー理論は対象間の『関係性』を抽出する理論だ。これをもって、正確な『類似性』を計ることができる。意識の異なるカテゴリー間(様態間、動物種間、数学的構造間)での比較ができるようになる。
 
 もしも、コウモリがエコロケーションしているときの統合情報が人間の視覚体験に近ければコウモリは超音波で『見て』いることになり、もし聴覚体験に近ければ『聴いて』いることになり、もし統合情報が非常に少なければ小脳のように非意識的な情報処理をしていることとなる。

【論文まとめ】「ファイにおける問題:情報統合理論批判 / The Problem with Phi : A Critique of Integrated Information Theory」【Michael A. Cerullo(2015)】

The Problem with Phi: A Critique of Integrated Information Theory

 

論文の背景

ジュリオ・トノーニは意識の量を測るための「情報統合理論(IIT)」を提唱した。

それは、「意識とは統合情報である」という理論だ。統合情報とは、「システムの要素が生成する情報」とされる。

情報統合理論は、現象学をベースとするいくつかの公理から、意識の量を数学的に算出する理論である。意識の量をΦとする。

この理論では、人間の脳と同等のフォンノイマン型コンピュータは意識を持っていないとすることもできる。

 

著者の主張

情報統合理論は以下のことから欠点のある理論である。

①公理の一つである「情報排除」の証拠はない。

トリビアルな理論でもIITと同じ予測をするため、IITには説明力がない。

③IITは機能主義に立脚していないため、「消え去る/踊るクオリア論法」に弱い。

④IITは認知的意識の理論というよりも、非認知的意識または原意識についての理論であり、現在の神経科学が注目するものではない。

⑤意識のハードプロブレムを解決することはない、むしろプリティ・ハードプロブレムに向かっている。

 

なぜそのような主張をするのか?

①公理の一つである「情報排除」の証拠はない。

「情報排除」の公理とは、意識のレベルとは、システムにより排除される認識的可能性の量により決まるというものだ。トノーニはこれは現象学的直観から得られるとしている。フォトダイオードは明か暗かの状態のとき、排除する可能性はそれぞれ一種類だが、人間は無数の可能性を排除したうえで一つの意識状態にある。

この公理の問題は、著者の直観とトノーニの直観が一致しないということだ。脳は多数の状態を区別できるが、脳の主な機能が情報表象であるからであり、情報排除公理はトートロジーとなる。

また、その他の公理も証拠はない。たとえば、「排外の公理」によれば、大きな意識の中に小さな意識があるということはない(意識とは排外的である)とするが、他の意識の一部分だということをどのように知ることができるかわからない。

 

トリビアルな理論でもIITと同じ予測をするため、IITには説明力がない。

トノーニはIITに経験的証拠があるとしている。たとえば、分割脳の事例でそれぞれの分割脳が別の意識を持つのは脳を分割してもΦが大きく減ることはないからである。

だが、恣意的な別の理論でも同じくらいの説明をすることはできる。循環調整伝達理論(CCMT)というトリビアルな理論を考えてみよう。これは、意識とはシステム内のフィードバックループを起こす情報であるとする理論だ。システムの情報循環をΟ(オミクロン)とする。Οは全体の情報循環に部分の情報循環をマイナスしたものだ。フォトダイオードに意識がないのは情報が循環する通路がないためである。対して人間の脳にはフィードバックループがあるので意識がある。

分割脳の事例ではそれぞれの脳にフィードバックループが残っているため二つの意識が生まれる。

 

③IITは機能主義に立脚していないため、「消え去る/踊るクオリア論法」に弱い。

以下のエントリと同じ論法のため省略。

the-yog-yog.hatenablog.com

 

④IITは認知的意識の理論というよりも、非認知的意識または原意識についての理論であり、現在の神経科学が注目するものではない。

トノーニとAaronsonの議論では、XORゲート(XORゲート - Wikipedia)が意識を持つ可能性について話されている。トノーニはその可能性を認めるが、Aaronsonはばかげているとする。対して、トノーニは常識によりIITを棄却することはできない、なぜならば、限界事例における意識について話しているからだと反論する。また、トノーニは意識の理論は現象学からはじめるべきで意識の神経相関からはじめるべきではないとする。

ここで、トノーニには三つの問題がある。

一つ目の問題:主観的経験をベースとした意識の根源的性質の考察は人々により大きく変わりうる。AaronsonはXORゲートに意識が生じるのはありえないとするが、トノーニはありえるとする。

二つ目の問題:トノーニとAaronsonで「意識」がなにを示すかが違っている。Aaronsonは「意識」を神経科学と整合的な意味で使っているが、IITはもっと一般的な主観的現象という意味で使っている。

IITは汎心論の一種である汎経験主義である。万物に心があると主張するのではなく、万物に経験があると主張するからだ。この経験に当たるのは意識ではなく原意識である。トノーニは意識と原意識を混合している。Rosenbergは原意識的経験は心が欠けているとする。フォトダイオードやXORゲートは認識的性質を欠いている、対して、人間の脳は意識と気づき・記憶・機能遂行が関連している。

Aaronsonは科学者が興味を持つ意識を認識的意識とする、対して、IITは非認識的意識を扱う。

ネッド・ブロックは命題的態度であるアクセス的意識と感覚である現象的意識を区別したが、そのどちらも認識的意識である。

トノーニはXORゲートには非認識的意識があると言ったのに対して、Aaronsonは認識的意識はないとしたのだ。

だが、認識と経験の分離は経験者と独立の経験を認めてしまう。これは意識の本質を探るというよりもより多くの謎を生み出してしまう。もしも原意識と意識の性質が別物であれば、意識の謎については原意識をもって答えることができなくなる。

IITの当初の目的は意識の量を測るというものだったが、原意識と意識を区別していないのでその目的は果たされない。

トノーニの三つ目の問題が:⑤ハードプロブレムの誤解である。

意識のイージープロブレムは「どのように脳が意識を生み出しているか」なのに対して、ハードプロブレムは「なぜ脳が意識を生み出すのか」である。

トノーニはIITによりハードプロブレムを解決するとしているが、「なぜ統合情報が意識を生み出すのか」は不明である。

むしろ、IITはプリティ・ハードプロブレム:どんな物理的システムが意識を生み出すかを問題にしている。

 

関連エントリ

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【論文まとめ】人工知能に意識を帰属させる / Ascribing Consciousness to Artificial Intelligence 【Shanahan(2015)】

[1504.05696] Ascribing Consciousness to Artificial Intelligence

 

【論文のまとめ】

この論文は、『意識の統合情報理論』においての反機能主義的側面を批判するものだ。批判のために、「脳神経を徐々に機械化していったときどうなるか」という思考実験を使う。筆者の主張は、「意識とはなにか」という形而上学的問題ではなく「我々は何を意識とするのか」というカテゴリーに関する問題に注目すべきだというものだ。AIに意識があるのかという問題は、実際に人間レベルのAIが誕生するのを待たねばならない。

 

『意識の統合情報理論』についてはこの本を参照のこと。

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【論文の背景】

近年、Giulio Tononiは「意識の統合情報理論(IIT)」を唱えた。これは意識を情報科学の側面から明らかにしようというものであり、「Φ」という意識の量を出すことが可能になる理論だ。Φは統合された情報に依存する。要素xのシステムよりも高いΦを持つサブシステムに分割することが不可能な場合、xに意識が内在しているとされる。このような意味で還元不可能なシステムは「複雑」であると呼ばれる。

人体の場合、脳において最も高い統合情報Φmaxが示される。脳を分割したサブシステムにおいて非ゼロのΦが示されることもあるが、それらのサブシステムのΦは脳全体より大きくなることがない。そのため、脳の各部分が独立して意識を持つことはない。

一方、Tononiはコンピュータに対して、全体を無数の小さなΦmaxに分解できるため、意識を持ってはいないとしている。

さらに、Tononiは非ゼロΦシステムと機能的に同等なゼロΦシステムが存在するとしている。たとえば、非ゼロΦシステムが持っており、それと機能的に同等なゼロΦシステムに欠けているものとして再帰的連結がある。フィードバックは自らの内部状態に依存することなく、それゆえ部分ごとに生成された情報の合計以上の情報が全体として生成される。このようなシステムはΦが非ゼロであるが、フィードバックシステムと機能的に同等であるが全体として部分以上の情報を生成しないシステムはありうる。

脳は多数の再帰的連結を保持しているため、高いΦを持つ。一方、コンピュータは多数のトランジスタから構成され、それぞれの部分は自らの下位集合に依存するため低いΦを持つ。

 

【著者によるTononiへの反論】

デイヴィッド・チャーマーズによる「脳神経を徐々にエレクトロニック・デバイスに置き換える」という思考実験がある。このときクオリアはどうなるだろうか? 三つの選択肢がある。a)意識は神経が機械化されるある閾値に達すると突然消える。b)意識は徐々に薄れていく。c)意識はずっと続く。機能主義はcをとり、Tononiはbをとるだろう。

 

では、今度は機械化されるのがTononi自身だとしてみよう。機械化されたTononi (Twin Tononi / TT)は自らに意識があると主張し続けるだろう。このとき、あなたは実は機械化されているのですよと教えてあげればどういう反応をするのだろうか? 三つの選択肢がある。a)そのような発表に懐疑する。b)自らに意識があるという見解を放棄する。c)機能主義への反対を翻す。

aは不合理である。bもありそうにない、Tononiは「自分の意識が在るというのはもっとも信頼できる」としている。意識についての自己知は否定できないという立場だ。Tononiと同等な機能状態を持っているTTも同じような主張をするだろう。ゆえに、TTは機能主義に賛成せざるおえない。

 

【可能なTononiの反論とそれに対しての再反論】

Tononiは「もし自分がデジタルコンピュータであることが明かされたらどう感じますか?」という質問に、「意味のない質問だ、前提が不可能だ」と返している。TTも同じことを言うだろう。行き詰まりを打破するために、拷問をしてみよう。機械化は可逆的だと仮定する。IITの非機能主義的立場からすれば、TTは拷問の間なにも感じないはずだ。TTにあなたはコンピュータですので痛みは感じません、生物脳に戻ったときに記憶を消してお金をたくさんあげますという申し出をしたらどうだろうか?おそらく、その提案を受けることはあるまい。

ここでの教訓は、意識があるということは正当化された自己知から導き出されなくてはいけないというものだ。高いΦがあるということは正当化された自己知の主張に含意されてなくてはいけない。しかしながら、Φの高さ自身は自分の意識の発話について因果的役割を果たしていない。人は意識について主張するのに自らのΦを計算する必要はないのだ。このことから、なぜTTの発話よりもTononiの発話のほうを信頼するべきなのかという問題が沸き起こる。

 

【結論:形而上学なしの科学】

Tononiは「意識とは何か」という形而上学的疑問に返答しようとしているが、それは無駄なことだ。適切な疑問とは「どのような状況で我々はなにかに意識を帰属させようとするのだろうか?」である。人間レベルのAIに意識があるかは、実際にAIが発明されないとなんともいえない。「私には意識がある」という発話は命題ではなく、マジシャンが「ちちんぷいぷい」というようなものだ。それをまともにとって意識とは何かを追求してはいけない。

 

【関係するエントリ】

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【けものフレンズ考察】「埋設されたもの」とは何か?:全22種類の説を考えてみた

アニメ「けものフレンズ」七話でのクリフハンガーとでもいえる「フレンズやわたしたちにとってとても大切なものが埋設されている」という発言。今後の展開で、おそらくこの「大切なもの」が大きく関わってきそうだ。それを予想してみよう! というのがこの記事。数うちゃ当たるの法則でできるだけ多く考えてみた結果、22種類の説が出てきた。はたしてこのなかに正解はあるのか!?

説を見る前に、例の台詞には発言の主体は誰かいつ発言されたかにより異なる解釈があることに注意しよう。最低限、以下の三つの解釈が可能である。

 

①録音解釈:ラッキービーストが喋っているのは遥か昔に録音されたヒトの言葉。この場合、「わたしたち」とは過去の人間を指す。おそらく、パーク運営側が客へと伝えた情報であろう。
②現在ヒト解釈:絶滅を逃れてどこかに生き残っているヒトがラッキービーストを通して通信を試みているという解釈。この場合、「わたしたち」とは現在の人間を指す。
③ラッキービースト解釈:ラッキービースト自身が自我を持ち喋っているという解釈。この場合、「わたしたち」とはラッキービーストを指す。

以下の説のどれを支持するかということは、上の三つの解釈のどの立場に立つかということと密接に関係している。

それでは、各説を概観しよう。

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【論文要旨】宇宙は数学ではない/『「数学的宇宙」へのいくつかのコメント』

Jannes, Jil(2009) "Some comments on "The Mathematical Universe""

link.springer.com

 

一行で言えば?

 宇宙は数学だ!という説があるけど違うよ。

 

どんな背景なの?
 この論文は『数学的宇宙』という考え方を批判したものだ。数学的宇宙とはこの世の根源はすべて数学的構造により還元できるという考え方だ。
 数学的宇宙仮説をとなえるTegmarkは、最初に外的実在仮説(External Reality Hypothesis/ERH)からスタートする。これは「完全に人間と独立した外的な物理的実在が存在する」という仮説だ。次に、数学的宇宙仮説(Mthematical Universe Hypothesis/MUH)を展開する。これは「外的な物理的実在とは数学的構造だ」というものだ。数学的宇宙仮説は外的実在仮説を真剣に受け止めた結果だという。完全に人間と独立した外的世界の描写は、物理的対象の性質なしの純粋数学的構造となるからだ。さらに、様々な数学的規則性が自然には存在し、その結果、すべての可能な数学的構造を持ったマルチバースが存在するとTegmarkは論じている。

 

著者はどんな主張をしているの?
 Tegmarkは間違っている。


なぜそのような主張をしているの?
 Tegmarkは外的実在仮説を自明としているが、妥当な論証がなく論点先取だ。
 数学的宇宙仮説においては、三つの問題がある。一つ目は、外的実在仮説は数学的世界ではなく物理世界にコミットすることだ。プラトンイデア論は物理世界は幻覚であるとしてこの問題を片付けるが、Tegmarkは数学的構造から観測された内容が創発するとしている。
 しかし、物理的性質は数学的構造で現せないこともある。例えば、古典力学においてのHamilton-Jacobi methodでは調和振動となるか非調和振動となるかは物理的システムの選択により決まる。
 三つ目の問題は、完全な実在を描写するためには人間から独立した言語を必要とするとTegmarkが論じていることだ。しかしながら、ほとんどの動物には数学について限定的な能力しかない。数学は観測者依存的な言語であるかどうかという問題は経験的な問題であり、原理的に解けるものではない。経験においては、数学を人間の構築物としたほうが確からしい。
 Tegmarkの数学的実在論に対して、もっと穏やかな立場は数学を人間の構築物のひとつとするものだ。これは直観主義構成主義にコミットするのではなく、プラトニズムの否定を意味する。数学の有効性を理由付けるためには、数学的世界を仮定せずとも、柔軟な抽象的道具だとすれば解決する。
 Tegmarkは数学的構造そのものが宇宙であるため、昔発見された数学的構造が新しい状況にどんどん適用することが可能であり、その果てには数学的なマルチバースがあるとしている。多数の数学的構造が存在するが、それらは物理的実在を含まないからである。
 数学的宇宙仮説は、この宇宙にユニークな究極の物理理論があり、それは必然的に数学的構造であるがゆえに、宇宙とは数学的構造であるとする。このような数学的実在論を拒否する道は二つある。悲観的なほうは数学とは時空や物質などの根源的レベルの探求おいて十分な言語とはならないというものだ。楽観的なほうは数学はいかなる宇宙(存在する宇宙も存在しない宇宙も)をも記述することができるが、万物理論の選択には数学のみでなく物理的な実験値が必要になるというものだ。現実の物理学においてはそのようなことが多いことが知られている。例えば、数学的に完璧な対称性は自然界にはめったに存在せず「対称性の破れ」が見られる。

イカは宇宙を飛び、シンギュラリティを起こす/『Manifold:Time』感想

 今回紹介する本は、未訳のSF長編である。誰にも訳されていないのだ。

 

Manifold: Time

Manifold: Time

 

 


 むろん、英語がずらりと並んでいる。英語のみの小説を読むのは、難しいことだ。世界一TOEICの点数が高い人にとってみれば、簡単なことかもしれないが、それ以外の人には難しい。
 しかし、わたしは頑張って読んだ。ところどころ意味が分からないところがあったが、全部読んだ。なぜか? スティーヴン・バクスターの作品であるからだ。
 スティーヴン・バクスターといえば、とてもすごいSFを書くと有名な人だ。銀河規模・宇宙規模・時空規模のガジェットを惜しげもなくバンバン投入し、しかもそれが最先端物理学で裏付けられている。さすがは工学の博士号を持っているだけある。
 今回紹介する『Manifold:Time』は、そんなバクスター作品のなかでも『異色作』と位置づけられるところのもので、おもちゃ箱をひっくり返したような色とりどりのアイディアが整理されぬまま散らばっている。
 なかでも、すごいのがイカだ。イカが空を飛ぶ。いや、空どころではない宇宙を飛ぶ。いやいや、もっとすごい、超遠未来の宇宙を飛ぶ。どれくらい? 分からん。よく分からんが、数兆年後は超えているらしい。なんだか、陽子が自然消滅するくらいのそんなすごい未来らしい。そんな宇宙を飛ぶイカを描いたのは、SF史上においておそらく最初であろう。何事も、史上初は良いものだ。ちなみに、イカはヤリイカである。ヤリイカとは、寿司のネタとして有名なイカだ。スルメイカよりもランクは上のようだ。
 このヤリイカ、遠未来の宇宙を飛ぶだけでなく、シンギュラリティまで起こす。シンギュラリティとは、知能がどんどん上がっていくことだ。皆さん、コンピュータの発展によりシンギュラリティが起こると考えているが、それらはすべて間違いなのであり、実際のところシンギュラリティを起こすのはイカだ。
 イカがどうしてシンギュラリティを起こすのか? それは謎である。正直、わたしは読み取ることができなかった。頭足類の専門家ならば読み取ることができると思うので、是非とも読んで欲しい。どうやら、卵を産むと、次世代のイカはどんどん賢くなるようだ。驚くべき事実である。
 イカなんて単なる貝の化け物だ。そんなもん見たくないよ! という皆さん。ご安心ください。イカは中盤くらいで死にます。後は人間が主人公です。十本脚もいいけど、やっぱり二本脚だよね。そして、二本脚の主人公と一緒に知性が宇宙に果たす根源的な役割を追求しよう! 冬休みの間に人間と宇宙の関係性について把握してクラスメイトに差をつけよう!