水槽脳の栓を抜け

SF作家 草野原々のブログ

書評『宇宙は自ら進化した』(リー・スモーリン)

Amazon.co.jp: 宇宙は自ら進化した―ダーウィンから量子重力理論へ: リー スモーリン, Lee Smolin, 野本 陽代: 本

 

 宇宙論における問題に、『ファイン・チューニング問題』というものがある。この宇宙を描写する理論のなかには数々の変数があり、その変数が少しでも異なると、生命など元から存在する可能性のない宇宙となってしまう。例えば、重力定数が少し大きいと恒星は小さくなり、数千万年で燃え尽きてしまう。また、電子と中性子の質量の微妙なマッチングが原子核を安定させている。

 これを解決する一つの手段が『人間原理』と呼ばれるものだ。そもそも、人間が存在しなければ宇宙は観測されない。観測可能な宇宙には『人間が存在する』という前提があるのだ。この原理は、宇宙が無数に存在し、そのうちで我々が考えるべき宇宙は生命を可能とする宇宙のみなのだと解釈される。

  本書の著者、リー・スモーリンはそのような考え方を非科学的であり、なにも生み出さないと一蹴する。では、代わりに彼が提案するのはなにか、それは『自己組織体としての宇宙』という考え方だ。

  ファイン・チューニング問題などといった困難が生じるのは、ニュートン宇宙において『自然の法則は絶対的で変化しない』という前提が生み出したものであるとスモーリンは言う。その代わりに自然法則を時間とともに変化するものだと考えれば困難は解消される。そのために援用されるのは、ブラックホールのバウンズ理論だ。まず、ある宇宙を考える。その宇宙の理論パラメーターはランダムとする。変数がランダムな宇宙は、長続きせず、たちまちのうちに自己崩壊し、一つのブラックホールを生み出す。そのブラックホールこそが、次の世代の宇宙なのだ。世代が交代した宇宙は、変数の値を微小に変化させる、いわば突然変異が起きる。こうして、幾世代も経った後、安定化した宇宙が現れ、そこで複数のブラックホールを作る。その後、子宇宙たちはますますブラックホールを多く作り出すような宇宙へと進化するというわけだ。そのような宇宙とは恒星が安定的に存在できるような宇宙、つまり我々の宇宙と非常に近くなる。

  スモーリンは、この理論は宇宙内部の観察からも強化されると主張している。例えば、銀河系は能率的に恒星が誕生することが可能な自己組織化した系といえる。そのような自己組織化した系は熱平衡状態を回避するようなメカニズムが存在している。そのようなメカニズムのおかげで地球上の生命も存続することができるのではないか。

  更に、この考え方から一つの哲学の方向性が導き出せる。それは、従来のニュートン的宇宙が秘めていた哲学に対抗するものだ。著者はそれを『形而上学の罠』とも呼んでいる。その罠とは『論理や数学が存在を離れた絶対的な真理である』というものだ。このような哲学は、その絶対的真理を作り出す神を前提とする宗教的傾向を持つと著者は警告する。対するスモーリンの哲学はすべては時間のなかの存在であると主張する。論理や数学などといった絶対的と見えるものも、宇宙の『進化』の過程により生まれ出でたものなのだと。

  本書は、最新宇宙論から情報科学ライプニッツ哲学まで包容し、一つの世界観を打ちたてようとする野心的な書である。著者のスモーリンは哲学にも堪能で、非常に面白い論考が見られる。また、科学者では珍しく科学哲学に対して好意的であるばかりか、『科学哲学者は科学者に対してもっと噛みつけ』までのことを言う。曰く、科学哲学者は科学理論の解釈にだけ構ってないで、理論そのものの方向性を監視し、ときには批判すべきであるそうだ。私も、科学者と哲学者は馴れ合いのようなジャンルの棲み分けを止め、積極的に論争すべきだと考えているため、本書を共感して読むことができた。