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水槽脳の栓を抜け

SF・アニメ・哲学

ほむほむから学ぶにせものワールド脱出講座

アニメ まどかマギカ 映画

注! 本記事は映画まどマギの他に、フィリップ・K・ディックの小説『ユービック』『時は乱れて』『宇宙の眼』 アニメ『BLOOD-C』『ビューティフルドリーマー』『ゼーガペイン』 プラトン『国家』 デカルト方法序説』のネタバレがあります。

 

劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語』非常に面白かったです。一時も休む暇がなくてジェットコースターに乗っているか、風邪をひいたときの悪夢を見ているようでした。

魔法少女アニメ論という観点からの、本作品の分析は現代美術作家・柴田英里さんの分析(http://www.n11books.com/archives/29757768.html)が映画公開前に書かれたものながら、かなり的を得ており、これを超える分析は私には荷が重過ぎるということで、ここでは行いません。ほむほむが『邪道魔法少女』であるということがはっきりと書かれており、まるでスタッフはこの評論を読んだかのようです。

さて、ここで行うのは、映画前半の分析。ほむほむがにせの世界からどうやって脱出したかということを、過去の作品を見ながら振り返ってみましょうということです。

では、ほむほむはどのようににせものワールドから脱出したのでしょうか。その

手順を見てみましょう。

 

 

①モブキャラの違和感

最初、ほむほむが気づくのはモブキャラの違和感です。自分の親しい人以外の人物の顔が簡単なデッサンで書かれたように見える。彼女はそこから、今の世界がシミュレーティッドリアリティであるということを推理します。もし、この世界がシミュレーションされたものであり、また、全ての構成員の内面をシミュレーションするほど精密にできていないものであれば、そのシミュレーションは自分か自分に親しい人物のためにあるものということになります。他の人々(モブキャラ)は哲学的ゾンビでも構わないのです。モブキャラの行動がおかしいためにせものの世界を疑い始めるという展開はSF作家フィリップ・K・ディックの小説『ユービック』にもありましたね。また、アニメ『BLOOD-C』でも主演陣とモブキャラの格の違いについて言及していました。

 

②記憶との差異

次に、ほむほむは自身に残るかすかな記憶と現在の状況が異なっていることに気づきます。特に自分が知る、佐倉杏子と現在の彼女の設定が大きく異なります。杏子と話すと、彼女自身も自分がどのようにしてこの町に着たのかをあまり覚えていない。この世界のシミュレートはそれほど完全でもないのです。この過程はにせものワールドものの元祖、プラトンの『国家』にも見ることができます。我々がイデア界のことを考えられるのは、もともとイデア界にいた名残だというのです。もうちょっと卑近な例をあげると、ディックの『時は乱れて』では、押しなれているはずの部屋のスイッチがなくなっていたことから、この世界のにせもの性を推理します。

 

③検証:町の外へ

ほむほむと杏子が向かったのは、自分の住んでいる見滝原市の外。もしも、モブキャラの内面を節約して描かないほどパワーの少ないシミュレーティッドリアリティならば、自分たちの行動範囲である市の外をシミュレートするほどのパワーもないだろうと推測しての行動です。シミュレーティッドリアリティの広さが町レベルであるという設定は、多くの作品に共通して見られる特徴ですね。人間が日常的に行動する範囲は、せいぜい町一つ分くらいだからでしょうか。いわば、町一つ分が日常的に直接観察している範囲、その他の世界の実在は保証できないという心情がみんなの心の中に共通してあるのかもしれません。

町の外へ出ようとしても出発点に戻ってきてしまうというモチーフはアニメ『ゼーガペイン』『ビューティフルドリーマー』でおなじみですね。

 

④中心人物探し

この世界がシミュレーティッドリアリティであると分かったからには。それは誰のためのシミュレーションなのか? ほむほむの疑いは最初は魔女なのにマスコット扱いされているシャルロッテ、次に本編と違ってすごい有能そうなさやかちゃんに向けられます。わたしは視聴したとき、まどかが作っているのだと思いましたが、ほむほむはまどかへの疑いを一片たりとも見せませんね。なぜでしょう。愛ゆえにか?

世界を構成している人物を探すのは、その世界が誰の願望を反映したものか? ということをヒントに考えればよいです。ディックの『宇宙の眼』では人間の内面のグロテスクな欲望が具現化した世界に主人公たちが閉じ込められます。こうしてみると、やはりディックセカイ系だな。

 

⑤クリエイターからの接触

にせものワールドが自分自身の世界であると気づいたほむほむに接触するのは、この閉じた世界を作り出した張本人、QBです。こうして、世界の真相が明かされました。しかし、にせもの世界のクリエイターをもってすれば、世界の真相を明かしたという錯覚を与えることもできるはずです。そうして、この世界がほんとうのものかどうかという検証は無限に後退してしまい、最後まで明かされなくなる。でも大丈夫、この場合、メタ視点に立っている視聴者の記憶により、正しい世界というものが保証されます。視聴者はTVシリーズという真なる世界の記憶を持っている。もしそれがなかったら、映画での虚実は不確定になってしまうでしょう(正しい世界の記憶の保証がキャラクターのみに担わされるので)。

 

⑥にせものワールドの破壊

最後にやるべきなのは、もちろんにせものワールドを破壊し、ほんものワールドへと帰還することでしょう。しかし、作品世界でのほんものワールドはどうなっているのでしょうか? TVシリーズラストおよび映画で見れたほんのわずかな描写では、一面の砂漠でしたが……。もしかして、人類は絶滅しているか、そこまで行かなくても非常に苦しい世界なのではないか。

さて、どのようにしてにせものワールドを破壊するべきなのでしょうか。神を使いましょう。文脈は違いますが、デカルトもにせの世界の懐疑を通り抜けるために神を使いました。今回はまどかという神を使って閉鎖された世界を打ち破ります。

こうして、にせものワールドが打ち破られましたが、そこに現れたのはもっと広いにせものワールド、つまり、まどかワールドなのです。ほむほむは、自己犠牲を主眼とするまどかワールドの思想を否定し、ほむほむワールドを打ち立てます。このとき、二人の思想の違いは魔法少女アニメイデオロギーへのスタンスの違いでしょう。まどかは最初から魔法少女イデオロギーを体現する存在でした(初期は「頑張ることがカッコいい」といって魔法少女になりかけたり、最後は自己犠牲を選択しました)。一方、ほむほむのほうは究極の反魔法少女といえるでしょう。

残念なことに、この二人の対立する思想に基づいた世界設計がどのようなものか、具体的なことは分かりません。ほむほむワールドがどのような世界か、魔法少女は存在するのか、QBの存在位置はどこかという情報が不足しているからです。しかしながら、もし、ほむほむワールドのほうが魔法少女も彼女たちの自己犠牲もない世界であれば余裕でほむほむワールドの勝ちだと判定したくなるのですが……。そこらへんの二人の思想、二人の世界の対決は二期に期待しましょう。