水槽脳の栓を抜け

SF作家 草野原々のブログ

メモ イデア論と第三人間論証

ソクラテスはギリシャ中の人々に「~とは何か」ということを聞いて回った。(例:正義とは何か? 徳とは何か?)

その答えとして人々は正義の例、徳の例を出して答えたが、それは定義はなにかという問題に答えたことにはならない。

ソクラテスの問いにプラトンはイデア論で答える。美とは何か? それは美そのもの、つまり美のイデアである。個々の美しいものはその模造品のようなものでしかない。「魔法少女とは何か」という問いに、魔法少女のイデアであるアルティメットまどかを出したようなものだ。

イデア論に対しては第三人間論証という反論がある。

ここに三人の魔法少女(マミ、杏子、さやか)がいたとしよう、イデア論によると、三人がそれぞれ魔法少女であるのは同じ一つの「魔法少女そのもの」を有するからだ。だが、このとき「魔法少女そのもの」はまた魔法少女なのである。マミ、杏子、さやか、「魔法少女そのもの」を並ばせてみれば、彼女たちが魔法少女であるのはなんらかの同じものを有しているからという他なくなる。それを「魔法少女そのもの2」としよう。そのようにすれば無限に続いてしまう。

では、イデアとは各対象が分有するものではなく、各対象が規範とするものと考えてみよう。マミ、杏子、さやかは「魔法少女そのもの」と似ることにより魔法少女である。しかし、そのとき、例えば杏子が「魔法少女そのもの」と似るとき、「魔法少女そのもの」も杏子と似ていることとなる。「似る」という関係は双方向的であるからだ。このとき両者が何により似ているのか? 魔法少女であることにより似ているのだ。そのため、やはり「魔法少女そのもの2」を作らなくてはならないこととなる。そして以下無限にそれは言えてしまう。

 

注:今回は「魔法少女である」ということを例にしたが、普通は「人間である」ということを例にする。