水槽脳の栓を抜け

SF作家 草野原々のブログ

"DOOMSDAY, BISHOP USSER AND SIMULATION WORLDS"まとめ(3)

Alasdair M. Richmondの"DOOMSDAY, BISHOP USSER AND SIMULATION WORLDS"まとめ第三回です。

論文は https://www.era.lib.ed.ac.uk/handle/1842/2111 で読めます。

 

 (3)太陽のなか(a Place in the Sun)

 

終末論法はUCに比べて経験的事実による裏づけが少ないばかりか、経験的データの取り扱い方も違う。終末論法が経験的データに反する想定をすることはない。

しかしながら、UC側はこのような反論をすることができるかもしれない。「終末論法においての全人類誕生順ナンバーは適切な経験的裏づけがない、一方、UCは聖書という経験的に実在するものを証拠にしている。また、神学的地質学などを使うことにより、UCを経験的に整合性のあるものとして理解できるかもしれない」

だが、このような反論に妥当性はない。仮説を支持するある証拠を受け入れるならば、仮説を否定する証拠も同じように受け入れなければならないからだ。

 

UCのどこがダメかを考えるため、'Solarian Corollary'(SC)という論法を考えよう。これは、1714年にTobias Swindenが主張した『地獄は太陽にある』という説を元ネタにしている。Swindenは太陽地獄は10の11乗もの魂を収容できると主張している。これは現在の地球上の人口(6×10^9)を大幅に越す。

このことから、SCが導き出される。もし、魂を一つランダムでピックアップすれば、地球上の魂ではなく太陽地獄の魂を選ぶ確率が高い。つまり、われわれは高確率で太陽地獄のなかにいる。

いくらかの仮定を設ければ、SCを経験的に整合的なものとすることはできるかもしれない。しかしながら、SCは自己反駁的だ。なぜならば、もしSCが正しければ、自分の信念の大部分が間違っていることとなる(例えば、死により世界から消えはしないこととなる)。だが、SCはわれわれが世界の人口のサイズを適切に認識できるという前提の上で成り立っている。また、太陽地獄における人口の推定は経験と無関係な恣意的なものとなるしかない。

UCも同じような理由で間違っている。UCは歴代の聖書筆記者が正しい歴史を記録していることを要請する一方で、古代地球に関しての経験的データは全て間違っていなければならないとする。そのような欺瞞はあらゆる経験的データの信憑性を危険にさらす。UCから学べる教訓は、仮説の経験的側面を重視せよということと、単なる現象においての整合性があるかどうかという基準よりも経験的側面に対しては厳しい基準を課すべきだということだ。