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草野原々公式ブログ

SF作家 草野原々のブログ

【論文まとめ】「機能主義とは何か?/What is Functionalism?」【Ned Block】

Ned Block の"What is Functionalism" をまとめました。

主に、批判的観点からの機能主義のまとめとなっています。

論文は以下で読めます。

Ned Block, What is functionalism? - PhilPapers

 

 

・機能主義とは何か?


機能主義は心身問題の解決のために作られた。心身問題とは「心の本質とはなにか?」「なにか心的状態を形作っているのか」「我々の思考においての共通の性質とはなにか」などと表される問題だ。デカルト二元論は心とは別の存在とし、行動主義は心的状態は行動傾向と同じだとする。物理主義の人気バージョンでは心的状態は脳状態とされる。機能主義では心的状態とはインプットとアウトプットの因果関係で構成されているとされる。

機能主義には三つの源がある。
①PutnamとFodor:心的状態とは経験的な計算理論により表される
②SmartによるLewisとArmstrongの解釈:
③Sellarsと後期Harmanによるウィトゲンシュタインの解釈

機能主義の論拠として、内熱機関のキャブレター概念や、腎臓概念との類比がある。キャブレターや腎臓の概念は燃料やホルモンなどのインプットとアウトプットにより規定される。

機能主義はしばしばオートマトンにより表される。

   S1                 S2

1         "Odd" S2                 "Even" S1

0         "Odd" S1                 "Even"  S2

 

上記の表はオートマトンを表している。このオートマトンは二つの状態(S1とS2)、二つのインプット(1と0)、二つのアウトプット(OddとEven)から構成されている。この表には二つの機能がある。一つはインプットとアウトプットをすること、もう一つは状態を変化させることである。S1状態のとき1がインプットされるとOddをアウトプットし、S2状態に移行し、S2状態のとき1をインプットされるとEvenをアウトプットしS1状態に移行する。S1状態のとき0をインプットされるとOddをアウトプットし、S2状態に移行し、S2状態のとき0をインプットされるとEvenをアウトプットし、S1状態に移行する。もし、S1状態で始まり、0をインプットされるとOddとアウトプットされ間違ってしまうが、その後は間違わずに稼動する。

 

 

    S1       S2

1     "Odd"/S2          "Even"/S1

 

次の表はもっとシンプルで、インプットは1しかない。この表には二つの機能がある。一つに、インプットとアウトプットをすること。もう一つに、インプットによって状態を変えることである。S1状態のとき、1がインプットされるとOddがアウトプットされ、S2状態に移行する。S2状態のとき1がインプットされるとEvenがアウトプットされ、S1状態に移行する。

「S1とはなんだろう」という質問への答えはS1は関係性であるというものだ。その関係性は表で表すことができる。具体的にいうと、S1は以下のようなことだ、 S1=『二つの状態のうちはじめのほう、二つの状態とは以下のようにインプットとアウトプットする:一方は1をインプットされた結果「Odd」を出し、一方は1をインプットされた結果「Even」を出す。
もっと詳細に述べるならこうだ「S1である=以下のときxである∃P∃Q(もしPのなかのxが1のインプットを受ければ、QとなりOddを出し。もしQのなかのxが1のインプットを受ければPとなりEvenを出す」

これらの説明はいくつかのポイントがある。
①心的状態の本質はオートマトン状態、つまりインプット状態とアウトプット状態の関係性で構成されている。
オートマトン状態を描写すれば心的状態も描写できる。心的状態は論理数学的な言語であますことなく表現できる。
③S1は二次的な状態である。つまり、物質そのものではなくその関係性である。
④ある機能状態はさまざまな方法で実現できる。たとえば、プラスチックの歯車や電気によりS1を実現することができる。
⑤機能状態はさまざまな機械で実現できる。
⑥S1は物質組成に関係なく実現できるのだから、ある種の物理主義は機能主義からしてみれば偽となる。機能主義からしてみれば、心的状態は脳状態とイコールではない。

初期の機能主義では機能と傾向は一対一対応できるとしていた。しかしながら、そのようにすれば機能状態の実現を定義することで多すぎる実現が生まれてしまう。たとえば、t1にバケツに向かって「1」と叫ぶとしよう、その後t2に再び「1」と叫ぶ。このとき、t1のときにバケツはS1状態になり、蒸発が「Odd」を表すと強弁することができる。このような後付の対応を排除するために反事実条件を伴った表が必要だ。S1状態の実現には、「1」のインプットのときだけでなく「0」のインプットのときの定義もしなければならない。

機能主義において、例えば「痛み」は痛みの原因(画鋲が刺さった)と痛みが生み出す不安や行動(「アウチ!」という)の関係で構成される。痛みは二種類の状態のうち最初のものだ、その状態は画鋲が刺さったことで生み出され、「アウチ!」というアウトプットをしてから別の状態に移行する。
もっと抽象的にいうならば、痛みの状態=以下のようなときのx:∃P∃Q(画鋲が原因となりPが生じる&PはQと「アウチ!」の原因となる&Pのなかにxがある)
もっと一般的にいえば、心理理論がn個の心理語のなかで痛みが17番目にあるとしているならば、次のようになる。
痛み=以下のx:∃F1...∃Fn[T(F1...Fn) & x is in F17)]
F1...Fnはn個の心理語にあたる変数
このように機能主義では心的状態をインプットとアウトプットの関係という非心的な語で表現できる。

心理理論Tは経験的理論または素朴理論が当てはまる。後者の場合は概念的機能主義となり、我々の日常的な心理を機能的に定義することが目的となる。前者の場合は、心理機能主義となり、日常的ではなく修正された心的状態が機能状態として定義される。このとき基本となる心的状態は生物学的なものではなく、コンピュータをアナロジーとした機構的なものとなる。概念機能主義は論理行動主義の発展系となる。論理行動主義では痛みとは行動の傾向であるが、GeachとChlishomにより痛みは行動のみではなく主体の信念や欲求に関連すると指摘された。この問題を回避するため、概念的機能主義では心的状態は他の行動や心的状態との関係の組み合わせだとしている。

・機能主義と物理主義
心の哲学において関心がもたれてきた問いは二つある。①なにが存在するか?②心的状態の同一性はどのように与えられるのか? という問いだ。
①は存在論の領域であり、②は形而上学の領域にある。
存在論的主張は以下のようなものである。
二元論者「心的存在と物理存在は別の存在だ」
行動主義者・物理主義者「心的存在と物理存在は同じ存在だ」
形而上学的主張は以下のようなものがある。
行動主義者「痛みとは何らかの行動的なものを理由として痛みとなっている」
二元論者:非物理的な答え 物理主義者:物理的な答え
機能主義者はこれに対してオートマトンの表を出して答える。このオートマトンは物理的存在でなくともよい、例えば、非物理的な魂によって構成されていてもよいのだ。

形而上学的主張においてなにを心的状態の本質とするか(しばしば『タイプ』と称される)という点物理主義と機能主義は対立する。上で論じたように、機能主義では物理主義が仮定するタイプは間違いだとする。

しかしながら、存在論的問いにおいては、機能主義者と物理主義者は対立するとは限らない。例えばほとんどの機能主義者は世界を構成しているのは物理的なものであると認めている。機能主義はゆるい意味でならば物理主義である。このゆるい物理主義はトークン物理主義とも呼ばれる。これは、それぞれの痛みは物理状態だが、すべての痛みに共通する物理状態は存在しないという立場だ。

機能主義と物理主義の対立において、さまざまな論者が異なることをいっている。例えば、Putnum, Fodor, Blockは物理主義は機能主義において偽だとしており、Lewis, Armstrong, Rosenthalは物理主義は真だとしている。Lewisは痛みに関しては概念的機能主義者である。「痛みを持っている」はルイスによると、機能的傾向に対する厳密な指示詞だ。それに対して「痛み」のみでは厳密な指示詞といえない。厳密な指示詞とは「これこれの因果的関係性を持った状態」とはっきり定義できるものである。「痛み」の指示対象は人間であると脳状態となり、ロボットであると回路状態となり、天使であると非物理状態となる。これは「当たりの数字」があるルーレットでは17であり、別のルーレットでは589であるのと同じことだ。形而上学的問題においては、Lewisは機能主義だが非物理主義である。ロボットの痛みは人間の痛みと同じ因果関係状態を持つが、同じ物理状態を持たない。人間の痛みと火星人の痛みはまったく異なる物理状態であろう。一方、痛みの科学的本質とはなにかという点においてはLewisは物理主義だ。ここでのポイントは人間や火星人の「痛み」とは概念的なものであり、科学的存在物ではないということだ。

・機能主義と命題的態度
ここまでの議論で、機能的特徴づけは有限個の心的状態を伴う心理理論によってなされると仮定してきた。例えば「痛い」という心的状態は別の心的状態と関連付けられ、それを機能主義的に翻訳するという具合だ。しかしながら、命題的態度・信念状態・欲求状態などについてはこの方法は成り立たない。二つの問題点があるからだ。一つ目の問題点は、それらをまとめる方法論がなく、まとめのリストが長すぎることになるということ。二つ目の問題点は、信念関係体系にある。例えば、「ジョンはメリーを愛している」と「メリーはジョンを愛している」という信念があるとする。この信念は同じ対象を逆の方法で表象している。そのような特徴を省くことは難しい。これを理論に反映する方法としては、信念を関係として扱うことだが、これには二つの問題点がある。一つ目は、機能理論をどう詳細に述べるかということだ。これに対して、Loar(1981),Schiffer(1987)は文の中の論理関係と心的状態の中の推理関係を対応づけるという方法を提案している。二つ目の問題は、どのような状態のタイプが命題的態度を実現するかというものだ。Field, Fodorは命題的態度状態とは、信念の思考言語なのではなく、脳の中の統語論的システムにより表現されていると説明している。後に、Fodorは内容のある信念とは経験的関係と体系的に関連しているという点から自説を変更した:例えば、メリーがジョンを愛しているという信念をもつものはまた、ジョンはメリーを愛しているという信念を持つことも可能である。そのような芸当ができるのは脳の中の思考言語しかないと結論づけたのだ。

・外在主義
「双子地球」論法は意味や内容とは世界の存在と言語コミュニティによるとしている。これに対して、機能主義の立場からさまざまな返答が可能だ。一つは機能状態とは操作や観察の対象となるものも含まれるという返答だ。もう一つは、機能状態とは身体に制限されるという考えだ。よく使い慣れた杖を延長された身体と考えるか考えないかと違いと述べることもできる。

・意味
機能主義は、語「momentum」の意味は機能状態として理解できるとする。ある意見では、機能状態とは語「momentum」それ自体が思考や問題解決や計画のなかで果たす役割である。しかし、もしmomentumの意味が特定の機能であれば、語の意味と機能状態は非常に近い関係となってしまう。事実、語の意味とは機能状態であるとする論者もいる(Peacocke, 1992)。この考え方は認知科学において「手続き的意味論(procedural semantics)」としておなじみだ。哲学の領域では概念的役割意味論(conceptual role semantics)」として知られている。

ホーリズム
BlockとFodorが唱えた「damn/darn」問題というものがある。これは機能主義はどのような刺激・反応の違いにも違う心的特徴を置かねばならないことからでた問題だ。機能主義によると、人が小指をタンスのヘリにぶつけたとき、「damn!」と毒づくか「darn!」と毒づくかにより違う心的状態になることとなる。もしあなたが「damn!」と叫び、わたしが「darn!」と叫べばわたしとあなたは違う心的状態を持っていることとなる。機能主義者は個々人の機能状態を見るのではなく、全体的な機能状態一般を扱うことが尤もらしい説明をしなければならない。たとえそれがうまくいったとしても、機能状態をどのように信念や意味に翻訳するかという課題が残っている。

クオリア
機能状態は原理的には、とてもよく訓練された多数の軍人ネットワークでも表現することができる。しかしながら、軍人のネットワークに心があるのか?『赤い』ということを感じることができるのか?そうとは思えない。Lycan(1987)はこのような問題を回避するために、機能状態は心理理論Tに加えて人間の生理学によっても構成されるとしている。しかし、これでは火星人には心がないということになってしまう。我々と違う生き物の痛みを表現することはできなくなる。
また、機能的には同じような反応をするが、現象的感覚のないロボトミー患者は機能主義においてクオリアを持っていることになってしまう。
車輪生物やガス状生物には痛みはあるだろう、一方、ボリビア経済は痛みを持たない。この差をどうやって説明するか。はじめに考えられるのは、人間と同じ機能理論を車輪生物に適用することだろう。もし車輪生物に足があれば、人間と同じように反応し、もし人間に車輪がついていれば、車輪生物と同じように反応するだろうという具合だ。このやり方は機能状態を条件付アウトプットにより定義するというやり方である。例えば、「ボールをゴールさせたい」という欲求は、人の身体状態が~であればキックを生み出し、~であればヘディングを生み出す、などなどだ。しかし「などなど」の部分が不明確である。そのリストを作るには知的存在の全身体状態をリストアップしなければならない。また、身体状態だけでなく精神状態までもを考えなくてはならない。

・目的論
多くの哲学者は機能状態の定義に、進化論を使っている。進化的適応にかかわったもののみが機能とされる。これでボリビア経済や軍が心を持つことを避けられる。しかし、ここでスワンプマン問題が出てくる。あなたがピクニックに行ったとき、稲妻が身体を貫いて即死したとしよう、その稲妻は沼に落ち、そのときすさまじい偶然で沼の分子が再構成されてあなたとまったく同じ状態を作り出した。そんなことを知らずに、あなたと同等な存在はピクニックを続ける。この存在は進化的系譜からはずれているため、心を持たないことになってしまう。

・因果
機能主義においては、心とは二次的な性質である。物質が関係を持ち、その関係が心という性質を持つ。このとき、心は物質に対して因果関係を持たないということになってしまう。