水槽脳の栓を抜け

SF作家 草野原々のブログ

劇場版ラブライブ!の『謎の女性シンガー』は誰なのか?――SF的考察

本稿は映画『ラブライブ! the school idol movie』に出てくる『謎の女性シンガー』の正体をSF的に考察したものである。当然のことながらネタバレ注意だ。

 

 

 

ラブライブ!劇場版において、さまざまな議論と考察を呼んだ要素として、高山みなみ演じる『謎の女性シンガー』の正体はなにかというものがある。


このことをめぐり、現在、三つの有力な説が唱えられている。幻覚説、ループ説、別の時間線説の三つである。本稿ではこの三つの説をSF的に考察してみる。この説のほかにも赤の他人説、μ'sの象徴説、映画全体が夢説、亡霊説、守護霊説、集合的無意識の具現化説、真姫の親戚説、穂乃果と真姫の娘説、新一説などがあるが、ここでは扱わない。穂乃果の悩みのメタファーだという説もあるが、それは文学的解釈であり、作品中の出来事をあたかも現実の出来事としてみるSF的解釈になじまないので無視する。


第一の説として、幻覚説がある。幻覚説は二種類に分かれる。全面的幻覚説と後半幻覚説である。謎の女性シンガーはニューヨークでのシーンと日本でのシーンの二箇所で出てくるが、全面幻覚説はそのどちらも穂乃果の幻覚だとする。後半幻覚説は前半の女性シンガーは実在し、後半のみが穂乃果の幻覚だとする。幻覚説の強力な根拠は、『ラブライブ!』はファンタジー的・SF的な振る舞いを許容する作品ではないということだ。確かに、穂乃果が雨を止めたというシーンはあるが、あれは超能力ではなく単なる演出だと考えたほうが合理的だ。また、穂乃果以外のμ’sメンバーには姿が見えなかったという論拠もある。しかし、全面的幻覚説はやや説得力がないと思われる。なぜならば、前半のシーンでは女性シンガーはニューヨークの人々に見えていたからだ。また、穂乃果が女性シンガーに返しそびれたマイクは消えず、物理的存在として残り続けた。もしも、ニューヨークの人々が女性シンガーを見るシーンも幻覚であり、更に穂乃果はマイクの幻覚も見続けていたということになれば、彼女は重い統合失調症を患っているということになる。この結論は破滅的な幻覚の増大をもたらす。穂乃果がそれほど強固な幻覚を持つ人であれば、ニューヨークに行ったということも、ラブライブに優勝したということも、そもそもがスクールアイドルになったということも幻覚かもしれない。そのような懐疑論が出現する以上、全面的幻覚説は妥当ではないと見るべきだ。一方、後半幻覚説はかなり巧妙な仮説だ。この仮説では前半の女性シンガーはただの親切な人であるとする。駅やホテルの場所がわかったのは地理に詳しかったから、穂乃果に似ているのは他人の空似、μ’sメンバーに姿が見られなかったのはさっさと帰ったからと説明される。しかし、後半のシーンは幻覚あるいは夢であるとされる。苦悩する穂乃果がニューヨークで会った親切な人をよりしろに、自分へ助言する存在を作り出したのだ。ニューヨークにいたはずなのに秋葉原にいたのは幻覚だから、女性シンガーが穂むらに入らなかったのは幻覚なので他人には見えないから、穂乃果の過去のことを知っていたのは穂乃果が作り出したから、とさまざまな謎に合理的な理由を与える。さらに、幻覚説はループ説・別の時間線説の両者にはない利点がある。ループ説・別の時間線説では謎の女性シンガーの正体は未来の穂乃果ということになるが、それならば声優が違うということが説明できない。一方、幻覚説によれば声優が違うということは問題にすらならない。


ラブライブ!をSFやファンタジーにしないという方針に反するのがループ説・別の時間線説である。両者は女性シンガーの正体を未来の穂乃果とするが、世界観の構造にて意見を異にする。まずはループ説から見てみよう。この説の大きな論拠となっているのは女性シンガーの目の色や振る舞いや喋り方が穂乃果とよく似ていること、そしてマイクの存在である。ループ説は未来の穂乃果が自分の記憶どおりに過去の自分を助けに来たとする。駅やホテルの場所を知っていたのは自分が過去に経験したから、μ’sメンバーに姿を見せなかったのは過去の記憶に従ったからと説明される。この説の面白いところはマイクが無限ループの輪の中に入っていることだ。女性シンガー(未来の穂乃果)からマイクをもらった穂乃果は時間が経った後、過去に行き、またマイクを渡す。その円環は閉じている。ここで問題が発生すると思われるかもしれない。マイクは無限の円環に囚われていることになる、すなわち、マイクから見れば無限の時間が過ぎ去っていることとなる。しかしエントロピー増大の法則からすると、ループが何順もすることにより、マイクは壊れ、塵となっていくはずだ。これは矛盾ではないか? この問題を解決するためにSF的な仮定が考えられる。ラブライブ!世界の時間構造は時間移動を許すが時間線の分岐は許さない構造になっていると考えるのだ。その構造は他のあらゆる物理法則に優先されるとする。このようなメタ法則があるため、無限ループのなかにあるマイクはエントロピー増大則の範囲外となり、永遠に形が保たれることとなる。このような解釈がラブライブ!ファンから認められるかはともかく、SF的には面白い。


一方、別の時間線説においてはこのようなループ構造は出てこない。この説でもシンガーの正体は未来の穂乃果となる。ただ、映画で描かれているようなμ’sを解散する歴史を辿った穂乃果ではなく、μ’sを存続させた時間線の穂乃果である。この説の論拠は主にシンガーが穂乃果に語った、「グループで続けたが一人ひとりいなくなってしまった」という台詞である。これを、ファンの期待に応えてμ’sを続けたが、結局うまくいかなくてメンバーが散り散りになってしまったと解釈するのだ。この説では映画の時間線を辿った穂乃果は過去に行かないためマイクはループしない。この解釈では、古典的なタイムパラドックスの問題が発生するように思われる。別の時間線の穂乃果が過去の自分に助言したことにより、時間線が変更され、結果的に助言に来るはずの穂乃果がいる時間線が存在しなくなってしまう。それにより、助言がなくなるため穂乃果はμ’sを解散しないことになってしまう。この問題を解決する方法はいくつかある。一つは、別の時間線はパラレルワールドとして独立にあり、シンガーは別のパラレルワールドからやってきただけというものだ。もう一つは、たしかにシンガーが元いた時間線は助言により消失したが、シンガーは時間移動したことにより映画時間線のなかに含まれる存在となり消失を免れる(宇宙の歴史から見れば原因もなく出現した者とみなされる)というものだ。


ラブライブ!はSFではない』ということ以外にループ説・別の時間線説を批判するならば、やはり前述した声優の問題点が挙げられる。このことは単純に説明するならば「年季のため」「未来の穂乃果が酒を飲みすぎた」などが挙げられるが、「実は同じ声なのだが、穂乃果の声(声優:新田)は穂乃果が自分で自分の声を聞くときの声、シンガーの声(声優:高山)は穂乃果が自分の声を外から聞いているときの声」と解釈して説明できる。

(六月二十四日追記)この説明には一定の合理性がある。なぜならば、穂乃果が心の声を発するとき、その声はいつもと同じ声優:新田の声であるからだ。自分の心の声とは「他人が聞いている声」ではなく「自分が聞いている自分の声」であろう。心の声は外界から観察できないからだ。ゆえに、少なくとも心の声を発するシーンのあるキャラクターの声は、「他人が聞いている声」ではなく「自分が聞いている自分の声」であろうと推測される。


謎の女性シンガーの正体はおそらく、リドル・ストーリーとされるのだろうが、これまでにない物理法則外の存在を出した本作品はかなりの野心作であろう。