水槽脳の栓を抜け

SF作家 草野原々のブログ

『ラブライブ!サンシャイン!!』はセカイ系である

コンテンツの維持において、舞台設定を変化させねばならない。変化させ、新たな舞台設定が生まれるという事件のみで、消費者の注意が引かれる。長期間に及ぶ変化なしのコンテンツ展開はマンネリ化と飽きを呼び、一部のマニアのみを残して飽きられ、新規参入者を阻む。
舞台設定の変更は、チャンスである。既存客は同じコンテンツ系列に属しているというだけで参加し、うまくいけば新規参入者までもを手に入れることができる。しかし、リスクも伴う。前作のイメージを崩す変更は、既存客の反感にあう。
前作と続編の関係は、コンテンツ戦略によって様々だ。しかし、ラブライブ!シリーズの二作目、『ラブライブ!サンシャイン!!』においての前作との関係は、これまであまり見たことがないものである。『サンシャイン!!』という作品世界を、コンテンツそのものや視聴者などといったメタ作品世界と重ね合わせているのだ。これはセカイ系ともいってよいだろう。セカイ系は小世界(君と僕)の運命が大世界(世界の命運)と重ね合わさることに特徴があるが、『サンシャイン!!』においては作品世界であるキャラクターのコミュニティ(世界)がコンテンツそのものやコンテンツの消費者(メタ世界)と重ね合わさっているのだ。
このことは、μ'sが作品世界内部にいる生身の存在として描かれていないことに端を発する。作品世界から見たμ'sと現実世界から見たμ'sは同じものとして描かれている。如実に示すのは桜内梨子がスマホで鑑賞したμ'sのPVである。このPVは現実に存在するアニメPVと同じ表象をしているのだ。もちろん、作品世界の目線からすればPVは実写であり、アニメではないのだから、現実世界にあるアニメPVと作品世界にある実写PVは別物であるはずだ、しかし、表象としてまったく同じに見えることから、現実世界の住民は作品世界の住民へ『μ'sに対する立ち位置』を支柱にして共感することが可能となるのだ。他にも、μ'sに対しての熱狂的なファンである黒澤ダイヤが出すμ'sクイズが、作品世界に住んでいるという特権的位置に起因する情報を利用することなしに、現実世界の住民に対してもフェアであることは面白い。『サンシャイン!!』世界は一作目である『ラブライブ!』世界と地続きであるはずなのに、μ'sに対する立ち位置は現実世界と同等なレベルであるのだ。音乃木坂学院から転校して来たはずの桜内梨子がμ'sを知らなかったのも、現実世界との情報格差をなくそうとする戦略であろう。
視聴者は、『サンシャイン!!』を見ることにより、『ラブライブ!』というコンテンツや、それを見ている自分自身を見る。『わたし』と『セカイ』が一体化する。これは一種の神秘体験である。アートマンブラフマンは同一であるのだ。
さて、Aqoursのμ'sに対する立ち位置が現実世界の住民と同レベルである以上、あるひとつの予想が導き出される。それは、『サンシャイン!!』にはμ'sメンバーは生身の存在として出現しないというものだ。Aqoursはμ'sに対して現実世界の住民と同じように言及するだろう。黒澤ダイヤはにこまき談義すらするかもしれない。しかし、μ'sは(作品世界内から見ても)画面を通してのみ表象されるだろう。