水槽脳の栓を抜け

SF作家 草野原々のブログ

【論文まとめ】法則の様相的地位:ハイブリット見解の擁護 セクション2~3/The Modal Status of Laws: In Defence of a Hybirid View【Tuomas E. Tahko(2015)】

物理法則の力はなにを根拠にしているのでしょうか? セクション2では、本質主義者の「因果力を与える本性」が物理法則の根拠になっているということを説明し、それは強すぎる主張だとします。

セクション3では、根源的自然種の例化というアイディアを検討し、クーロンの法則にはその説明が適用できないのを見た後、法則を形而上学的必然のものと形而上学的偶然のものにわけるという方法を提唱します。

セクション1はこちら

the-yog-yog.hatenablog.com

Ⅱ 見かけ上の法則の様相的力


 法則と単なる規則性を区別する見かけ上の様相的力について、本質主義者たちは因果力を与える本性をもって説明する。
たとえば、粒子の本性により、電荷粒子が互いに引き付き合う規則性がすべての形而上学的可能世界をまたいで成立することを説明する。

しかし、「可能世界をまたいだ規則性を根源的粒子で説明すること」は「可能世界をまたいで法則が同一であること」という主張と切り離すことができる。
なぜならば、我々は「特定の規則性が形而上学的可能世界をまたいであること(例えば電荷は引き付き合ったり反発したりするということ)」には同意できるにしても、「電荷を支配する法則が同じ世界で同一に保持されること」には追加のコミットメントが必要となるからだ。
たとえば、電磁気的相互作用の結合量が同じ世界において変動するかもしれない。

ここで、パウリの排除原理(PEP)のケースを見てみよう。二つのフェルミオンが同じ時点で同じ量子状態をとることはできないというものだ。PEPは物質の振る舞いを規定する。塩素とナトリウムがイオン結合して、塩化ナトリウムとなる際に、PEPは重要な役割を果たす。二つのイオンが接近する際に、PEPは両者の電子が同じ量子状態になることを防ぐ。こうして、イオンが過剰に接近することを防ぎ、安定した塩化ナトリウムができるのだ。
 PEPはすべての物質の振る舞いにおいて中心的な規則性を現している。分子や原子が作られる能力を基礎付けるものだ。だが、実際に我々がイオン結合を考える際にはもっと高階の法則に言及する。その一つがクーロンの法則だ。クーロンの法則とPEPでは後者のほうがより普遍的な法則だとされる。
 BirdはPEPについて、それは量子力学に内包される説明であり、(Birdが法則の必要条件とするところの)根源に「近い」関係性について述べることはないとする。しかし、著者が見るところでは、たとえ量子力学により説明することができたとしても、PEPは根源に「近い」関係性を言及する理由がある。それは根源的自然種が法則の様相的力の中心にあるということだ。

 

Ⅲ 法則と種

根源的自然種が法則の様相的力の中心にあるという提案はE. J. Loweによるものだ。Loweの考えるところによると、カテゴリカリズムを捨てれば、法則の様相的力について十分な説明をすることができる。電子の力や傾向性などなどの斉一性は、同一の根源的自然種の特定の例化という事実により説明される。Loweは自然種の本性(nature)により法則は説明されるべきだとする。電子の本性の一つとして負の電荷を持つという例化が挙げられる。同じように、フェルミオンの本性の一つは、PEPが述べているように同時に同じ量子状態をとれないということだ。
 このような分析により、「黄金の山は存在しない」と「ウラニウムの山は存在しない」の違いを区別することができる。後者はウラニウムの本性に言及しているため、法則を構成しているが、前者は法則ではない。
 しかし、Loweの分析はクーロンの法則には適用できない。なぜならば、その法則はいかなる根源的自然種の特徴づけもしていないからだ。クーロンの法則はすべての物質的対象をスコープに入れているのだ。
 Loweはクーロンの法則は自然種である「物質的なものmaterial body」について言及していると反論するかもしれないが、それを認めたとしても、保存則などのもっと普遍的な法則が存在する。物理システム全体が自然種だという立場を取らない限り反論はできない。
 しかし、単純な解決策がある。自然種を特徴付ける法則と特徴付けない法則という区分が、形而上学的に必然な法則と偶然な法則という区分に対応しているとするのだ。この策はLoweの立場と両立しない。なぜならば、Loweは自然種を特徴付けるような形而上学的に偶然的な法則が存在する余地を残しているからだ。

 なぜ、法則を二種類に分ける必要があるのか。それは、法則的な(物理的な・自然的な)様相と形而上学的な様相の区別があるからだ。形而上学的に必然な法則は自然種を特徴付けるものだが、それに当てはまらないクーロンの法則など、自然の規則性を表現する法則もある。
 クーロンの法則を形而上学的に必然だとすると、どのような問題が出てくるのだろうか? Birdはクーロンの法則は形而上学的に必然だとしている。彼はこう言う「クーロンの法則による電磁結合は塩が水に溶けることを十分にする。塩が水に溶けることに失敗する可能世界とは、クーロンの法則が働いていない世界であるのだが、塩の生成自体にクーロンの法則が関わる。ゆえに、クーロンの法則が働いていない世界では、塩はそもそも存在できないのだ。塩が水に溶けないような世界において、塩が存在しないということはありえないだろう」
 一方、Beebeは次のようにクーロンの法則が形而上学的に偶然であることを論証する「Birdの論証は、他の世界が秩序だって働いているという想定に立っている。クーロンの法則が偽の世界のなかには、塩を作り出すような固有の法則が真である世界もあるのだ」(ゆえに、クーロンの法則は塩が水に溶けるという傾向性を特徴づけはしない)

 ハイブリッド見解では、必ずしも根源的自然種があるということにコミットしなければいけなわけではない。自然種の代わりに「算出可能な指標」を使うこともできる。科学においては、根源的な「算出可能な指標」は質量や電荷といった形で認められているが、根源的な自然種は認められているとは限らない。しかしながら、この論文では根源的自然種を使って説明しよう。のちにそのコミットメントを正当化する。
 ハイブリッド見解では、法則においての見かけ上の様相的力は次のように説明される:ある法則は自然種を特徴付けているため形而上学的に必然であり、他の法則はヒューム主義者が提唱しているように形而上学的に偶然であり法則的規則性である。後者は「ソフト」な様相的力を持ち、前者は「ハード」な様相的力を持つ。

 まとめると、法則と規則性については以下の三つに分類されるだろう。
①根源的自然種を特徴付ける形而上学的に必然な法則
②法則的に必然だが、形而上学的に偶然な法則。自然種を特徴づけはしないが、自然的性質を特徴付ける。
③単なる偶然。形而上学的にも法則的にも偶然的な規則性。(法則とはいえない)