水槽脳の栓を抜け

SF作家 草野原々のブログ

行為における合理性と因果【山田友幸(2013)】

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ある理由が行為を合理化するのはどのようなときか?:人が一定の種類に対するある種の賛成的態度を持ち(欲求)、自分のする行為がその種のものだと知っている(信念)場合(デイヴィッドソンの立場、ホーガンとウッドワードがさらに条件を足しているが省略)
行為の因果説:上のように定義される主要な理由は行為の原因である。

因果説に対するサールの反論:欲求と信念により因果的に決定される行為は合理的ではなく、不合理的である。
三つのギャップ:サールが提唱した理由と行為の間のギャップ。
合理的意志決定における理由と決定の間のギャップ:選択の余地がないときは合理的意志決定とはいえないが、因果的決定に自由はない。
意思決定と行為の実行の間のギャップ:意思決定をしたとしても、その行為を実行しないことがあるが、事前の決定が因果的決定なのであればそんなことは起こらないはずだ。
時間のかかる行為の開始と完遂までの継続のギャップ:行為を決定したとしても、その行為を継続して完遂するためには自発性が必要であるが、因果的決定にはそれがない。

サールの志向性理論:意図的行為において、事前意図(prior intention)と行為内意図(intention-in-action)が区別される。
行為内意図は事前意図や行為の理由により因果的に決定はされない。(ただし、行為内意図は身体行動を因果的に決定する)
サールに対しての反論:これらのことは直観的には正しいが、自由意思が幻想であることも考えられる。

自由意思論争:自由意思が存在するという信念と宇宙が物理法則により決定される閉じたシステムであるという前提が矛盾するのをどう解決するかという論争。

理由の熟慮と意思決定の間の関係:もしもこの関係が決定論的であれば、自由意思はないという立場をサールはとる。では、どのような関係が成り立つのか?二つの仮説がある。
仮説①:物理的な脳状態の変化は因果的に決定されているが、それにより引き起こされる理由の熟慮と意思決定の関係は決定的ではない。
    →もしそうであれば、合理的な意思決定は物理世界に影響を及ぼさないということになるが、なぜそのようなシステムが進化してきたのかという問題が生じうる。
仮説②心理的なレベルのギャップに対応して、物理的なレベルでもギャップがある。サールはこちらを支持する。

仮説②は神経生物学の説明を矛盾するのではないか?:サール「そんなことはない」
仮説②と矛盾すると思われる神経生物学の実験:リベットの実験(行為内意図に意識的に気づく350ミリ秒前に脳では準備電位が発生している)
リベットの実験は自由意思と矛盾しない:刺激に意図的に気づく前に行為がはじまっていようとも、その行為は事前意図に依存する(たとえば、野球選手の身体運動は前意識的であるがそれらは練習により生み出される)
物理的ギャップはどこにあるか?:脳システム全体の意欲的な部位において生じていることと、その次に生じることの間

だが、そもそもなぜ、因果的に不十分な条件の説明(サールにおいての「理由」)が説明として受け入れられるのか?:理由の説明とは、「なぜあなたがそれをしたのか」という問いに対するものであり、「それ以外のことが生じるのは因果的に不可能」ということを要求していないから。
サールが提唱する自我の概念:知覚の束に還元されない。欲求と信念が与えられ、推論の上で行為する。それらの意志決定は理由に基づいているが、決定はされていない。自我は責任の位置する場所(the locus of responsibility)である。自我の選択は自らがこれから行うことに関わる選択である(時間のなかで時間に関して推論する存在)。これらは脳の神経生物学的システムの特徴だ。
「先行する因果的十分条件に基づくのでなしに、因果的に進行するメカニズム」が必要になる。このメカニズムの可能性は真剣に検討するべきである。