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草野原々公式ブログ

SF作家 草野原々のブログ

【アニメ感想】2014年冬・ポストまどマギアニメ三作品

2014年冬に放映されたオリジナルアニメ三作品は『魔法少女まどかマギカ』からの影響を大きく感じさせるものであった。この記事では、それら三作品の相違点を検討しよう。

※『結城友奈は勇者である』『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』『Selector infected WIXOSS / Selector spread WIXOSS』のネタバレがあります。

 


 ポストまどマギアニメ三作品とは、『結城友奈は勇者である』『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』『Selector infected WIXOSS / Selector spread WIXOSS』である。
これら三作品の印象を一言でまとめると"不条理システム系"というものになろう。三作品のどれもが、主人公が不条理な搾取システムに巻き込まれたとき、どのように反応するかという点を描いている。

 三作品を見ていく前に、まどマギでの"不条理システム"はどのようなものであったか『システムの創設者』『システムの仕組みと目的』『主人公がシステムに対処する方法』という三点からおさらいしていこう。
 不条理システムの創設者はQBである。QBとは、太古の宇宙人である。宇宙人であることから、人知を超えた存在として描かれている。感情を理解せず、システムに入る以外の形でコミュニケーションできない(それを大きく示しているのが魔法少女以外の人間には見えないということである)。
 システムの仕組みを大まかにいえば、魔法少女を燃料とした発電システムである。主人公側である魔法少女は、魔女と戦うが、その過程で絶望が溜まることにより魂が魔女に相転移する。その際発生する膨大なエネルギーを利用して、QB文明は宇宙の熱的死を回避しようとしている。
 では、主人公はシステムに対してどのように対処するのか。宇宙人の作ったシステムであるため、普通の少女はもちろん魔法少女ですら立ち向かうことはできない。それに立ち向かうのは宇宙人以上の存在にならなければならない、すなわち神になるのだ。主人公まどかは神に変身することにより、不条理システムを緩和した。システムを破壊するのではなく、緩和にとどまったという点がポイントだ。新システムでは、魔法少女は魔女になることはないものの、戦いを終えると安楽死させられる。魔法少女のプライドは保たれるが搾取されている点には変わらない。まどかは魔法少女の自己犠牲という点は肯定しているのだ。その点を論点にしたのが続編である映画『叛逆の物語』である。

 

・自己犠牲へのバックラッシュ 『結城友奈は勇者である』

 

 


 『結城友奈は勇者である』(通称"ゆゆゆ")は三作品の中で最もまどマギに表面上似ている作品である。事前に日常系であるかのように宣伝されていたが、蓋を開けてみれば主人公たちは生死をかけた戦いに巻き込まれることとなる。キービジュアルやカラーリングもまどマギを意識したものが多く見受けられる。
しかし、まどマギと大きく違う点がある。この作品においては、なんと主人公は不条理システムをそのまま肯定しているのだ。
"ゆゆゆ"でのシステム創設者は神と人との複合組織だ。作品世界は"外の神"により宇宙規模の滅亡が起こっている。それを防ぐため地方神"神樹"は四国地方を結界で覆った。外界から結界を破り、進入してくる"バーテックス"を倒すために主人公たちは神樹により"勇者"に変身させられることとなる。まどマギでのQBのように、神樹は勇者契約を持ちかけたりしない、適性のあるものは問答無用で勇者にして、説明もないまま戦闘に放り出す。勇者は必殺技"満開"を使うことができるが、その技を使えば、身体の部位のどこかを欠損させられる。勇者はダルマになるまで戦いを強制させられる運命なのだ。
 さて、このような不条理システムに対して主人公・結城友奈はどのような解決策を出すのか。なんと、なんの解決策も出さない。それどころか、システムの論理を内面化する。自らを勇者として身体を犠牲にすることを肯定するのだ。十話あたりを見ていたとき、私はこの友奈の行動は、作品全体のテーマではないと考えていた。友奈は絶望に対して、『内面化』という対処策を考え出しただけで、それは作品全体が推し進めるテーマではないと思っていたのだ。しかし、違った。友奈はあまりにも絶望的な状況に狂って内面化という選択を選んだわけではなく、もともと絶望に対しての感受性が異常に低いのだ。そのため自らに降りかかった運命を絶望することなく肯定する。絶望的なことがあったから狂ったわけではなく、もともと狂人であったわけだ。
 では、システムはどのように変革されたのか。主人公たちは変革のためになにもやってはいない。システム創設者である神樹がなんの気まぐれか少女たちの欠損部位を全部返してくれたのだ。友奈の「根性さえあればなんとかなる」という精神論によりラストが飾られたが、その根性は安易な自己犠牲賛美でしかないだろう。この作品はまどマギで疑問を呈された自己犠牲賛美へと結局のところ回帰しているのだ。

 

・自己犠牲選択の否定 WIXOSS

 

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"ゆゆゆ"は表面的なビジュアルでまどマギと類似していたが、『Selector infected WIXOSS / Selector spread WIXOSS』(以下WIXOSS)は話の展開がまどマギに似ていた。特に一期最終話付近ではまどマギ最終話をなぞったような展開が行われた。しかし、そのラストはまどマギとは似て異なるものだった。
 WIXOSSでのシステム創設者は、まどマギのような超越的な存在ではない。一介の少女"繭"である。繭がシステムを作り出した動機は世界の維持ではなく、憎悪による。繭はある屋敷に閉じ込められたまま孤独に死を迎えたため、外界の自由に生きていくことができる少女たちを憎悪し、そのあまりにも強い憎悪によってシステムが構築されたのだ。このあたりの理屈は完全にホラーであり、設定も何もあったものではない。
 WIXOSSシステムはまどマギと似ている。ある少女のもとに、"ルリグ"という喋るカードがやってくる。どうやら、ルリグを持った者同士のカードバトルにより勝てば願いが一つかなうようだ。少女たちはそれをモティベーションにして、カードバトルをする。ところが、過酷なペナルティがあることが分かる。三回負ければ、願いが逆転し、その願いが永久にかなうことがない状態になってしまうのだ。更に、勝ち進んだとしても過酷な運命が待っている。なんと、少女はカードのなかに閉じ込められルリグとなってしまい、ルリグの意識が少女のなかに入るのだ。勝っても負けてもどうあがいても絶望というシステムは何も生み出さず、ただ少女たちを苦しめるだけのために存在している。
 一期終盤、主人公・るう子はまどかと同じような行動をとる。自らをカードにするという自己犠牲でシステムを停止させようとするのだ。しかし、それは失敗に終わり、二期では自己犠牲による解決を否定する。では、どうやってシステムを変革するのか。それは、創設者への説得である。WIXOSSではシステム創設者は宇宙人でも神でもない、主人公たちと同じ立場にいる少女だ。コミュニケーションが可能であり、説得をすることができる。かくして、主人公の熱弁により物語はハッピーエンドを迎える。

 

・正当派ポストまどマギアニメ・クロスアンジュ

 

 


 取り上げた三作品でも最もまどマギに近い設定をもっているのが『クロスアンジュ』である。"ゆゆゆ"やWIXOSSが純粋なファンタジーであったのに比べてこちらはSFロボットアニメである。2クールのうち現在1クールが終わったところであるため詳細は不明であるが、SFとしての設定はまどマギと非常に良く似ていると思ってよいだろう。
 クロスアンジュでの、不条理なシステムは社会システムだ。舞台となる未来世界は念動力"マナ"を生まれつきもっている新たな人類が支配しており、その力を持たず生まれた者は"ノーマ"として差別の対象となり、差別の対象があることで社会は強固なものとなっていく。ノーマは発見されれば孤島へ収容され、謎の生物"ドラゴン"とのいつ死ぬか分からない戦いを強制される。そして、一期の最後に驚愕の事実が明らかになる。なんと、魔女は魔法少女であったのと同じように、ドラゴンとは人であったのだ。おそらく、社会システムとしてノーマ同士が殺しあう状況が用意されたのであろう。
 主人公・アンジュは自己犠牲という言葉から最も遠い存在だ。結城友奈と対照をなすといってもよい。アンジュは友奈やまどかやるう子といった『良い子』ではなく、視聴者からはしばしば"クズ"と罵倒されてきた。彼女はシステムに身をささげようとはしない。そもそも自らを差別の対象としてシステムなど唾棄すべきものだ。『世界を壊して、わたしは生きる』というキャッチコピーからも自己犠牲システムへの強い反発がうかがい知れる。
 では、どのようにシステムを変革するか。一期からはまだ全貌が見えないが、おそらくそれは革命であろう。意外にも、ポストまどマギアニメでシステムに対する直接的な革命を描いたアニメはない。それはおそらく、システム創設者が多くの場合超越者であることが原因であろう。しかし、クロスアンジュでのシステム創設者はただの人間であり、社会だ。それは神にならなくとも革命という直接的手段で変えることができる。
 
 以上、ポストまどマギという観点から三作品を見てきた。それぞれ、不条理システムを描いていたが、主人公の行動は自己犠牲の内面化/システム創設者の説得/システムへの革命という三者三様に分かれる。面白いのは、この三つの作品がすべてオリジナルアニメだということだ。オリジナルアニメという土台にまどマギは確実に影響を与えている。