水槽脳の栓を抜け

SF作家 草野原々のブログ

フルタイム作家としての目標設定

 

要約:草野原々の具体的目標は「年間三冊をコンスタントに刊行」(補助的具体的目標は「ハヤカワSFコンテスト出身作家で一番多作になる」)。抽象的目標は「多創多想多層多奏」である。


わたしは大学院を自主退学(退院)し、フルタイム作家となった。
この文章は、作家としての目標を宣言したものだ。
やはり、作家としては、目標があったほうがいろいろと頑張れると考えたのだ。
そして、その目標を公開して、広く共有したほうが、目標達成に近づくと判断した。
これを読んだみなさんは、ぜひとも草野原々の目標達成に協力してほしい。(もちろん、草野原々の目標達成を阻止しようとしてもよい。好きなほうを選んでくれ)

では、どのような目標を設定するのが効果的だろうか?
とりあえず、達成したかどうか検証できる具体的目標と、それを支える理念である抽象的目標の二段構えにするのが、効果的だろうと思われる。

 

 

 

具体的目標

具体的目標は、「一年間に三冊のペースでコンスタントに作品を刊行する」というものだ。

「刊行冊数」を目標にするのは、それが予測・計測しやすく、達成しやすい目標であるからだ。

「読者数」「評価数」「重版数」「賞獲得数」「印税額」などの他の具体的目標は、どのように行動すればよいのかの指針をあまり与えてくれない。時の運に左右され、事前に予測するのは困難である。これらの数値はあまり考えないほうがよいだろう。
また、「執筆総文字数」「総ページ数」などは数えるのがめんどうであるため目標基準に向いていないと判断した。

「刊行冊数」を目標とすることは、「作品の質」よりも「量」を重視するということであるが、これには理由がある。
まず、「質」を高めるにはどうすればよいのやらサッパリ見当がつかない。対して、「量」を増やす方法はある程度はわかる。目標である以上は、ある程度の指針を与えてくれるものがよい。
また、刊行冊数を増やすことで、ある程度の質を確保することは可能ではないかと考えた。コンスタントに作品を刊行するためには、編集部のチェックを通らなければならない。この関門によりある一定の質が確保されることだろう。数多くの作品を書くにつれてよりよい作品が書けるようになるという可能性もないわけでない。
そして、下手な小説には下手な小説なりの「魅力」や「味」があるという可能性も残っている。もし、ヘナチョコ小説をたくさん書いたとして、そこにある種の面白さが宿るという事例がまったく考えられないとまではいえないだろう。下手なうちにたくさん書いておけば、そのようなヘナチョコ面白い小説がたくさんできるかもしれない。
ゆえに、「刊行冊数」を具体的目標とするのだ。

「量」を目標とする以上、「大作」は諦めなければいけないのではないか? という疑念があるかもしれない。「多作」と「大作」の間にはある程度トレードオフがあるだろう。とりあえず、あと3〜5年は多作志向として活動して、その期間を「修行期間」として、それから徐々に「大作志向」にシフトしていこうと計画している。
「一年間に三冊のペース」という数値にするのは、それがギリギリ達成可能な範囲であるからだ。
わたしの執筆スピードから考えて、おそらくそれくらいが妥当な範囲である……ということは前提として、そもそも、本を出すためには出版社で企画が通らねばならないのだ。企画通過の頻度やスピードを考えて、いまのところそれくらいが上限であろう。

この具体的目標を達成するための下位目標をどう設定すればよいだろうか?
具体的な日々の執筆目標は未来のわたしに任せるにして、ここではあいまいに考えてみよう。
まずは、気分的な問題だ。スランプに落ちるのを避けよう。自身を省みて、けっこうスランプに落ちやすいという事実がある。
どうすればスランプを避けることができるのか? これまた難しい問題だが、自分にプレッシャーをかけすぎるのはいけないだろう。スランプは「書くのが怖い」状態のことが多くあり、これは過大なプレッシャーがかかることから起きる現象かもしれない。

事前に書くものを規定しすぎると「書けなく」なってしまうかもしれない。まったく全然これっぽっちも面白くない大愚作・超駄作でも、刊行することができるかもしれない。「傑作を書く」「売れるものを書く」「特定のジャンルを書く」など事前に規定し続けるのは危険かもしれない。
「とりあえず書いてみる」という方法も有益だろう。文章を書いていたら、なんだかわからないけれど「波に乗れる」ときもあるのだ。

刊行した作品にこだわりすぎるのも、目標達成に効果的ではない。もしも評判が悪くても(良くても)、それは過去のものとして、未来に書くものとは関係ないとするほうがよいのかもしれない。

もちろん、スランプになるならスランプになってもよいのかもしれない。スランプというプロセスを経て、なにかものすごいものが出てくるということもあるのだ。

つぎに、スケジューリングや編集者とのコネクションなどの外部的な問題がある。
具体的スケジュールを設定しておくのは大事だ。締め切りがないと、構想段階で延々と考えてしまい執筆に手がつけられなくなり、ついにはよくわからなくなるという事例がある。具体的なスケジュールを設定せずとも、編集者との会話で「こういうものがやりたい」と伝えることも効果的だろう。一方で、編集者とのコミュニケーションがうまくいっているのかどうか不安になることもあるのだが、それを解決する効果的な方法がない以上、編集者を信じるしかない。

 

その他の具体的目標

「年間三冊刊行」という目標は、草野原々の内で完結したものだったが、もっと外とつながる形の具体的目標として
「ハヤカワSFコンテストデビュー作家で一番多作になる」
というものがある。

ライヴァルを設定することで、草野原々をより鼓舞させるという方法論だ。

現在(二〇二一年四月)のデータでいえば、ハヤカワSFコンテストでデビューした作家のうち、草野原々は刊行冊数四冊で刊行冊数ランキングでは二位である。一位は十冊の柴田勝家殿なので、殿を先輩ライヴァルと位置づけてその背中を追いかけて、ゆくゆくはハヤカワSFコンテスト出身作家のモデルケースとなるという方向性を示す目標だ。

内的に完結した目標では燃え尽きてしまう可能性もあることから、こちらの目標も逐次意識しながらモティベーションを高めるのも、効果があるだろう。

だが、この目標はかなり難易度は高い(大幅なリードがある上に、勝家殿は筆がはやいのだ)、あくまで補助的な目標として取り扱った方が良いだろう。

 

抽象的目標

 具体的目標を支えるための、理念的な抽象的目標を考えるのは役に立つだろう。
 原々は、抽象的目標を「多創多想多層多奏」というモットーにすると決めたのであった。
 
 「多創」とは、作品をたくさん作る(量)のと同時に、いろいろな種類の作品を作ること(多様さ)である。
 「多想」とは、小説のなかで描くアイディアをたくさん思いつくことである。
 「多層」とは、アイディアを単一の小説内で完結させずに、時間的経過により発展・展開させることである。地層のように、アイディアにもいくつもの「層」を作る。
 「多奏」とは、小説のなかで、複数のアイディアをかみ合わせ、ハーモニーあるいは不協和音を奏でることである。特に長編の場合、単独のアイディアで駆動するのではなく、絶対に交差しないと思われていた複数のアイディアが出会い、思わぬ音が奏でられたらうれしい。
 
 「年間三冊以上をコンスタントに刊行」という具体的目標を達成することは、「多創多想多層多奏」という抽象的目標を達成する役に立つ。
 その理由として
 ①単純に出力を多くすること、また様々なジャンルを書こうと考えること(「多創」)で、トライ&エラーの回数を増加させ、アイディア空間のなかの検索回数と範囲を多く・大きくした結果、思いつくアイディアは多くなり(「多想」)、すでに使ったアイディアをさらに吟味することで発展させ(「多層」)、アイディアの組み合わせ数も多くなる(「多奏」)。
 ②年間三冊を刊行するためには、複数の出版社を渡り歩く必要がある。それぞれ違った編集者と相互作用することになり、環境の違いは異なったアイディアを生み出す。
 ③場数を踏むことで、「書くことの怖さ」が少なくなり、スランプに陥るのを回避できるようになる。その結果、たくさんのものを書くようになる。
 ④たくさんの作品が出るということは、わたしを見つけてくれる人が多くなるということだ。結果、与えられるチャンスが増加し、さらにたくさんの作品を書くことができる。正のフィードバックが働く。
 
 ということで、「年間三冊をコンスタントに刊行」と「多創多想多層多奏」を目標にして、フルタイム作家をやっていこうと思う。
 やがては、小説だけではなく、映像作品や演劇脚本、漫画原作、ゲームシナリオなど多媒体で活動したい(活動するであろう)。
 みなさん応援してね!