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【論文まとめ】IITはラッセル的汎心論と両立するか?/“Is IIT compatible with Russellian panpsychism?"【 Hedda Hassel Mørch(2016)】

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アブストラクト

 

 意識の統合情報理論(IIT)はある種の汎心論を含んだ経験的仮説である。この論文では、IITはラッセル的汎心論と親和的であり、ラッセル的汎心論の弱点である組み合わせ問題を解決できる可能性があるが、現在のバージョンのIITとラッセル的汎心論は整合的ではないところがある。整合性をもたらすために、IITに対する二種類の修正がありうる。一つはIITの排外仮定を修正するものであり、もうひとつは粗い粒化原理(coarse-graining principle)を修正するものだ。

 

○汎心論とは?


 汎心論とはすべての物理的なものは次の三つのうちどれかだと主張する立場だ。
 ①意識
 ②意識的なパーツにより作られたもの
 ③意識を作り出す部分

 

ラッセル的汎心論


 近年の心の哲学で受け入れられている汎心論のバージョンはラッセル的汎心論である。これは物理主義と二元論の問題点を避ける立場であるからだ。物理主義の問題とは、認識論的ギャップの問題であり、二元論の問題とは、心的因果の問題だ。
 ラッセルは物理学が扱うのは関係的あるいは構造的性質のみだとした。どのように物理的なものが他のものと関係しあうかであり、ものそのものが何であるのかという問題は扱わない。ラッセル的汎心論では、関係性には内的性質(instrisic properties)が必要だ。さらに、現象的性質は内的性質であるとする。

 

○物理主義と二元論の困難とラッセル的汎心論の有利な点


 物理主義では、現象的性質は物理的性質と同一だとする。問題は、現象的性質なしの物理的性質は想定可能だということだ。
 二元論では、現象的性質と物理的性質は別だとする。問題は、物理的世界は物理的性質のみに閉ざされていると想定した場合、心的因果が物理的世界に向かって働くことはないという結論になってしまうことだ。
 ラッセル的汎心論では、物理的性質は現象的性質(内的性質)により構成されるとする。もし、内的性質のあるものが存在するのであれば、その構造である物理的性質も存在するので、ギャップの問題はない。物理主義の問題点を回避できる。
 ラッセル的汎心論では、現象的性質が物理的構造を実現するため、物理的性質の因果的有効性は内的性質なしにはありえない。ゆえに、心的因果の問題はない。二元論の問題点を回避できる。

 

○構成的汎心論と創発的汎心論、およびその問題点


 構成的汎心論では、複雑な意識は単純な意識により構成されると考える。つまり、複雑な意識とは単純な意識が時空的に関係した姿と同一である。この立場は『組み合わせ問題』に直面する。ミクロな意識をどのように組み合わせればマクロな意識が構成されるのだろうか?ミクロ意識があっても、そこからマクロ意識があるということを導き出せない。
 創発的汎心論では、ミクロ意識の集合体とマクロ意識は別のものだとする。むしろ、ミクロ意識集合体により因果的にマクロ意識が生み出されるのだ。この立場は心的因果の問題に似た問題に直面する。ミクロ意識が物理的構造を決定するのならば、マクロ意識は因果的に余分な部分となってしまうのだ。

 

○IIT


 IITは意識の経験的相関を見出そうとする理論だ。すべての意識システムは統合情報Φの最大値であり、意識とはそれのみであるとする。この相関関係は、自己の内観から得られた現象学的公理からアプリオリで導出される。
 IITは小脳などの脳の部分にはなぜ意識がないか、や深い眠りについたときにどうして意識が消えるのかということを説明することができる。

 

○IITと組み合わせ問題


 IITは組み合わせ問題を解決できる。意識とΦの相関関係は現象学的公理からアプリオリで導出できるためだ。アプリオリなつながりは認識的ギャップをなくす。
 その解決の仕方には、いくつかの立場がある。

 

○現象的結束の立場


『現象的結束の立場(the phenomenal bonding view)』では、some physical relations はそのrelataの内的性質に還元不可能な内的本性を持っているとする。内観により、いくつかの物理的relataの本性にアクセスできるが、物理的relationsの内的本性にはアクセスできない。現象的結束立場によると、もし我々が脳内の粒子のむすびつきに関して内的本性を知ったならば、マクロ意識の存在はミクロ意識の関係性から導き出せると結論付けることができる。
 現象的結束の立場において最大の問題は、どんな物理的関係性が現象的結束関係性に対応するかを選び出すことだ。Goffは空間的関連性は現象的結束関係性だとする。そうだとすると、空間的関係性のあるすべての物理的性質は意識があることが導き出される。これを普遍主義(universalism)というが、ほとんどの汎心論者は普遍主義を拒否して意識をあるシステムだけに制限している。
 IITは現象的結束立場のようなことはありえるとする。IITが正しければ、現象的結束関係はある種の因果関係(オーバーラッピングする他のシステムよりもΦが高い要素の因果関係)となる。これは普遍主義を含まずに、アドホックな連接もない、自然な物理的関係性である。

 

○融合の立場


『融合の立場(the fusion view)』は創発的汎心論で組み合わせ問題に解答しようという立場だ。この立場によると、マクロ意識の創発共時的ではなく、通時的に起こる。創発したマクロ意識が、それを引き起こしたミクロ意識の集合体を引き継いで存在するようになるのだ。これにより、物理的性質を実現する候補は一つとなる。
 Seagerは量子的絡み合いやブラックホールのフォーメーションなどが物理的融合の例だとしている。要素は個別性を失い、『大きな単一』となる。しかし、脳内にそれに値するものは見つからない。
 IITはそれ自体は融合の立場である。それは排外(Exclusion)の仮定によるものだ。システムのなかで最大値のΦを示す部分のみが意識を持ち、下位レベルのミクロ意識は失われるとする。IITは情報の統合性という基準により融合の同一性基準を与えている。それは経験的に取り扱えるもので、物理学的仮説に対して改訂的ではない(脳内の量子的絡み合いを仮定するような無理はしていない)。

 

○粗い粒化問題(the coarse-graining problem)


 粗い粒化問題とは、IITが意識の時空的粒子を選び取る方法に起因する問題だ。IITでは脳というシステムはニューロンなどの荒い空間的粒子を部分として構成しているとする。また、ミリ秒単位の荒い時間的粒子を基準としている。
 粒子以下の構造は経験の質にとって関係がないとすると、ミクロ構造が炭素でもシリコンでも意識の性質には変化がないということになる。
 このことは、ラッセル的汎心論と矛盾する。ラッセル的汎心論では、物理的構造が現象的性質に付随(スーパーヴィーン)するとしている(少なくとも法則的に付随する)。しかし、IITでは付随は成立しない。
 次のように考えればIITとラッセル的汎心論の対立が解消されるかもしれない:炭素ニューロン脳とシリコンニューロン脳はマクロ現象的性質は同一であるが、ミクロ現象的性質は別であるのだ。同一のマクロ現象的性質は同一のマクロ物理的構造を実現あるいは法則的決定するが、ニューロンなどのミクロ単位での別々の経験が別々のミクロ物理的構造を実現するのだ。
 しかし、この考えは、排外の仮定により棄却される。マクロ意識よりも下位レベルのニューロンはミクロ意識を持つことはできない。

 

○Exclusionを放棄する


 排外仮定の放棄は脳内に無数の意識があることを意味し、『多数者の問題』を引き起こす。また、普遍主義を導く。これはまずい。
 さらに、IITの経験的問題を引き起こす。夢のない眠りでもΦはゼロにならないが、なぜ意識は消えるのかという問題に対して、脳内のサブシステムのΦよりも脳内全体のΦが低くなったからだと回答できる。Exclusionの下では、サブシステムの意識により脳全体の意識が排外されると説明できる。

 

○粗い粒化を放棄する


 粗い粒化を放棄して、もっと細かい粒化にしてはどうだろう。しかし、問題が起こる。第一に、我々の経験は脳内のミクロ物理的構造を反映していない。哲学においてこの問題は『粒の問題』といわれている。経験の粒は脳内のミクロ物理的粒を反映していないのだ。 
 第二に、経験的問題が起こる。Φはニューロンよりも小さい単位でもゼロにならないため、脳内の分子や原子が意識を持ってしまうこととなる。これは多数者の問題を引き起こす。

 

○Exclusionを修正する


 次のようにExclusionを修正すれば粗い粒化問題を解決できる。
 ①同じ時空的粒のなかでは意識はオーバーラップしない。
 ②下位レベルのシステムよりもΦが高いシステムでのみ意識は粒として存在する。
 これは、脳内の意識は、もっとも肌理の細かいミクロ物理的粒における意識とオーバーラップしているということだ。肌理の細かい部分が違う二つの脳(炭素脳とシリコン脳)はその部分においては別種の質を持った意識を経験しており、その違いはミクロ物理的構造と法則的スーパーヴィーンしている。
 この解決法は、Exclusionの放棄よりも役に立つ。例えば、眠りにおける意識の喪失を否定しない。脳レベルでの粒の意識は、下位レベルがより高いΦを持つと消える。また、能が考えられる限りで最も高いΦを持つシステムだとすれば、銀河や宇宙が意識を持つとする普遍主義も棄却できる。
 この修正案は、構成的ラッセル的汎心論のみに適用できる。創発的汎心論のように、ミクロ現象的性質とマクロ現象的性質が別物なのであれば、ミクロ現象的性質がマクロ現象的性質を因果的に排除するはずだ。
 しかしながら、粗い粒の現象的性質が細かい粒の現象的性質により構成されると考えても別の問題が生じる。緑を見るという経験ができる最小の部分を考えよう。その部分は主体にとって、完全に均一である。もしもこの均一な緑の部分がもっと小さな粒におけるミクロ現象的性質により構成されているとすると、主体の経験は均一で部分がないにもかかわらず複合体であるということになる。
 多くのラッセル的汎心論者は、現象的性質について見せかけと実際の区別は存在しないということを動機にしている。もしそうであれば、ある経験が均一でかつ複合体であるというのは道理に合わない。

 

○粗い粒化を修正する


 粒の問題:脳内のミクロ物理的構造に対応するマクロ意識の構造が少なすぎる。
 パレット問題:物理学において根源的粒子の数は制限されているが、それに対してマクロ意識が持つ質は多すぎる。
 この二つの問題は相補的に解決できる。失われたミクロ物理的構造のいくらかは余分なマクロ意識の質にエンコードされていると考えるのだ。ミクロ物理的構造が潜在的に可能なマクロ現象的な質に対応しているとするのだ。
 この考えは、IITの粗い粒化原理を修正する。Φ最大値の粒よりも下位の情報は経験の質にとって重要であり、構造にとっては重要ではない。つまり、ミクロ物理的レベルで別々のものが同じマクロ現象的構造を実現することはあるが、同じマクロ現象的質は実現できない。
 ここには、どのようにミクロ物理的構造が経験的質にエンコードされるのか?という謎がある。

 

○結論


 この論文では、粗い粒問題を解決し、IITとラッセル的汎心論を両立させる二つの方法を提案した。一つはExclusion仮定の修正であり、もう一つは粗い粒化原理の修正である。この二つの修正案は、ラッセル的汎心論の組み合わせ問題を解決しうる。心的組み合わせの原理は現象学的公理もしくは相関的主張のみからアプリオリに演繹可能である(現象的結束の立場または融合の立場いずれにしても)
 Exclusionの修正は現象的質は必然的に見かけとしてあるという立場と緊張関係にあり、粗い粒化原理の修正は質と構造の間のミステリーな関係性を前提とする。