水槽脳の栓を抜け

SF作家 草野原々のブログ

【けものフレンズ考察】「埋設されたもの」とは何か?:全22種類の説を考えてみた

アニメ「けものフレンズ」七話でのクリフハンガーとでもいえる「フレンズやわたしたちにとってとても大切なものが埋設されている」という発言。今後の展開で、おそらくこの「大切なもの」が大きく関わってきそうだ。それを予想してみよう! というのがこの記事。数うちゃ当たるの法則でできるだけ多く考えてみた結果、22種類の説が出てきた。はたしてこのなかに正解はあるのか!?

説を見る前に、例の台詞には発言の主体は誰かいつ発言されたかにより異なる解釈があることに注意しよう。最低限、以下の三つの解釈が可能である。

 

①録音解釈:ラッキービーストが喋っているのは遥か昔に録音されたヒトの言葉。この場合、「わたしたち」とは過去の人間を指す。おそらく、パーク運営側が客へと伝えた情報であろう。
②現在ヒト解釈:絶滅を逃れてどこかに生き残っているヒトがラッキービーストを通して通信を試みているという解釈。この場合、「わたしたち」とは現在の人間を指す。
③ラッキービースト解釈:ラッキービースト自身が自我を持ち喋っているという解釈。この場合、「わたしたち」とはラッキービーストを指す。

以下の説のどれを支持するかということは、上の三つの解釈のどの立場に立つかということと密接に関係している。

それでは、各説を概観しよう。

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『ラブライブ!サンシャイン!!』はセカイ系である

コンテンツの維持において、舞台設定を変化させねばならない。変化させ、新たな舞台設定が生まれるという事件のみで、消費者の注意が引かれる。長期間に及ぶ変化なしのコンテンツ展開はマンネリ化と飽きを呼び、一部のマニアのみを残して飽きられ、新規参入者を阻む。
舞台設定の変更は、チャンスである。既存客は同じコンテンツ系列に属しているというだけで参加し、うまくいけば新規参入者までもを手に入れることができる。しかし、リスクも伴う。前作のイメージを崩す変更は、既存客の反感にあう。
前作と続編の関係は、コンテンツ戦略によって様々だ。しかし、ラブライブ!シリーズの二作目、『ラブライブ!サンシャイン!!』においての前作との関係は、これまであまり見たことがないものである。『サンシャイン!!』という作品世界を、コンテンツそのものや視聴者などといったメタ作品世界と重ね合わせているのだ。これはセカイ系ともいってよいだろう。セカイ系は小世界(君と僕)の運命が大世界(世界の命運)と重ね合わさることに特徴があるが、『サンシャイン!!』においては作品世界であるキャラクターのコミュニティ(世界)がコンテンツそのものやコンテンツの消費者(メタ世界)と重ね合わさっているのだ。
このことは、μ'sが作品世界内部にいる生身の存在として描かれていないことに端を発する。作品世界から見たμ'sと現実世界から見たμ'sは同じものとして描かれている。如実に示すのは桜内梨子がスマホで鑑賞したμ'sのPVである。このPVは現実に存在するアニメPVと同じ表象をしているのだ。もちろん、作品世界の目線からすればPVは実写であり、アニメではないのだから、現実世界にあるアニメPVと作品世界にある実写PVは別物であるはずだ、しかし、表象としてまったく同じに見えることから、現実世界の住民は作品世界の住民へ『μ'sに対する立ち位置』を支柱にして共感することが可能となるのだ。他にも、μ'sに対しての熱狂的なファンである黒澤ダイヤが出すμ'sクイズが、作品世界に住んでいるという特権的位置に起因する情報を利用することなしに、現実世界の住民に対してもフェアであることは面白い。『サンシャイン!!』世界は一作目である『ラブライブ!』世界と地続きであるはずなのに、μ'sに対する立ち位置は現実世界と同等なレベルであるのだ。音乃木坂学院から転校して来たはずの桜内梨子がμ'sを知らなかったのも、現実世界との情報格差をなくそうとする戦略であろう。
視聴者は、『サンシャイン!!』を見ることにより、『ラブライブ!』というコンテンツや、それを見ている自分自身を見る。『わたし』と『セカイ』が一体化する。これは一種の神秘体験である。アートマンブラフマンは同一であるのだ。
さて、Aqoursのμ'sに対する立ち位置が現実世界の住民と同レベルである以上、あるひとつの予想が導き出される。それは、『サンシャイン!!』にはμ'sメンバーは生身の存在として出現しないというものだ。Aqoursはμ'sに対して現実世界の住民と同じように言及するだろう。黒澤ダイヤはにこまき談義すらするかもしれない。しかし、μ'sは(作品世界内から見ても)画面を通してのみ表象されるだろう。

【まとめ】アイマス・ラブライブ以降の二次元アイドルコンテンツまとめ

現在は多数の二次元アイドルコンテンツが作られています。

その双璧をなす存在として、『アイドルマスター』と『ラブライブ!』が挙げられます。

また、女児アニメの『アイカツ!』と『プリパラ』、新作映画化も決まり勢いに乗っている『WakeUp, Girls!』などのコンテンツも追い上げています。

しかし、世の中にはまだ多数の二次元アイドルコンテンツがあるのです。

今回は、それらのコンテンツをまとめてみました。このなかから将来大ヒットするコンテンツは出てくるのでしょうか?

 

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【アニメ感想】2014年冬・ポストまどマギアニメ三作品

2014年冬に放映されたオリジナルアニメ三作品は『魔法少女まどかマギカ』からの影響を大きく感じさせるものであった。この記事では、それら三作品の相違点を検討しよう。

※『結城友奈は勇者である』『クロスアンジュ 天使と竜の輪舞』『Selector infected WIXOSS / Selector spread WIXOSS』のネタバレがあります。

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【まどかマギカ】映画『叛逆の物語』見終わってからひらめいた三つの説

映画『魔法少女まどか☆マギカ 新編 叛逆の物語』の視聴三回を記念して、映画内では謎のまま残った事象に関する三つの説を書きました。ネタバレです。

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【まどかマギカ】宇宙黒幕仮説

映画まどマギにおいて、最後のまどかとほむらの会話には違和感があった。

「秩序は大切だと思う? 欲望のまま破ってはならない?」と聞くほむらに対してまどかは秩序は大切だと答える。そして、ほむらはもしかしたらあなたはわたしの敵になるかもしれないと言い、去っていく。

一見、この会話は何の問題も内容に見える。悪魔となったほむらは宇宙の秩序を乱す側であるからだ。だが、重要なのは、宇宙の改変自体はまどかもやっていたということだ。まどかもほむらも宇宙改変をやっているのであるから。ほむらの『秩序を破る』ということは宇宙改変そのものを指すはずはない。

宇宙改変そのものを問題としているのでなければ、まどかとほむらの宇宙改変の性質が違うということだろう。実際、それは終盤のほむらとさやかの会話からもうかがい知ることができる。

「まさか、宇宙を壊すつもり?」と問うさやかに対し、ほむらは「全ての魔獣を倒したらそれもいいかも」と言っている。

ここから推測できるのは、ほむらの宇宙改変は、宇宙自体にダメージを負わせるようなやり方で行われていたということだ。

では、まどかの宇宙改変はどうなのだろうか。私はここで、一つの仮説を導入することとする。それは、まどマギ世界の宇宙とは、それ自体が一つの生命体であり。まどかの宇宙改変は、宇宙そのものが自己のシステムをアップデートするためになされたものだということだ。

ここで、QB文明は宇宙のエントロピーを下げるために魔法少女システムを作り出したことを思い出そう。QBたちは魔法少女が魔女になるときのエネルギーを使い、宇宙のエントロピーを下げていた(実際の物理学における意味とはずれるので注意)。QBの魔法少女システムはまどかにより円環の理に更新された。円環の理は、魔法少女が魔女になる瞬間、その存在を回収する。では、そのとき発生したエネルギーはどこに行くのか? 私は、そのエネルギーを宇宙自体が享受しているのだと解釈する。まどか改変前は、QB文明を通して間接的に宇宙自体にエネルギーが送られたが、円環の理ができてからは、直接的に宇宙自体にエネルギーが送られるようになった。円環の理が誕生することにより、より効率的な宇宙エネルギー供給システムが誕生したのだ。

だが、これは、円環の理もまた自己犠牲を強要するシステムだということをあらわにする。魔法少女たちは、人間としての生を否定され、円環の理という宇宙管理システムへの融合を余儀なくされる。

その自己犠牲性を見抜いたのは、ほむらであった。彼女は愛の力により、叛逆を開始する。この『叛逆』とは、まどかに対してのみならず。宇宙そのものに対しての叛逆なのである。

この仮説の良いところは、映画『叛逆の物語』での違和感を感じるシーンを二つとも説明できるところだ。ほむらとさやかの会話は、ほむらが宇宙そのものに叛逆した(宇宙を壊すことも厭わない)ということを示し、まどかとほむらの会話においての『秩序』とは宇宙そのものを表す。

では、宇宙黒幕仮説が予想するまどマギ二期はどのようなものとなるのだろう。はじめは、宇宙の意志を保持しているQBがまどかに対して、宇宙を破壊する『悪魔』ほむらを倒すように頼み込み、まどかが魔法少女になりほむらと戦うというストーリーが繰り広げられるだろう。しかし、この宇宙そのものが自己犠牲を強要するシステムであるという事実が少しずつ明らかになり、それに気づいたまどかはついには円環の理を操作して宇宙自体を裏切り、魔法少女の存在しない宇宙を新しく作り出す(あるいは書き換える)。いわば、宇宙という逆デウス・エクス・マキナ的な存在を作り上げてきれいにまとめるのだ。これならまどか派もほむら派も満足であろう。