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SF作家 草野原々のブログ

"DOOMSDAY, BISHOP AND SIMULATION WORLD"まとめ(最終)

Alasdair M. Richmondの"DOOMSDAY, BISHOP USSER AND SIMULATION WORLDS"まとめ最終回です。 論文は https://www.era.lib.ed.ac.uk/handle/1842/2111 で読めます。

 

 

5)シミュレーション論法

 

最近提案された終末論法の一変種に、ボストロムのシミュレーション論法がある。

彼はもし機能主義が正しく、心をコンピュータによりシミュレーションすることが可能であれば、発展した文明は無数の数のシミュレーションされた心(Sims)を作ることができるとする。その心はシミュレーションされていない心(non-Sims)と経験的に見分けがつかない。発展したテクノロジーを持つ文明であれば、non-Simsよりもはるかに多数のSimsを作ることができるであろう。そのため、もしそのような文明が可能であれば、Simsの比率はnon-Simsに比べ非常に大きくなる。ゆえに、我々がSimsである可能性は非常に高くなる。

この論法は我々がSimsであると断言しているわけではなく、連言となっている。もし機能主義が正しく、未来文明には非常に高いコンピューターパワーがあるならば、

a)そのような未来文明が生み出される可能性は非常に低い

b)そのような未来文明はコンピューターをSimsを作ることに利用しない

c)我々はおそらくSimsである

のどれかであるというものだ。もし我々がSimsを作ることができたなら、a,bである確率は下がり、cが確からしくなる。また、それが実現すると我々はシミュレーション階層のなかにいることとなる、我々をシミュレートしているシミュレーターがいて、シミュレーターをシミュレートしている上位シミュレーターがいて……という具合だ。

ボストロムのシミュレーション論法は終末論法に関連しているが、彼自身は終末論法に反対している。彼は人口仮説が作られる前に無差別の原理(indifference principle)を使うことを拒否しているのだ。彼は我々は自分の歴史位置に関する情報を持っているためランダムに選択された人間と見なすべきではないとしている。カーター/レスリーの終末論法で使われた無差別の原理に代わって穏和な無差別の原理(bland indifference principle)をボストロムは使う。それは観察者が自らの位置に関する情報を欠いていたときのみ仮説間を無差別に取り扱うというものだ。

シミュレーション論法の準拠集団はそのような観察者の集合である(より正確にいえば観察者瞬間)。しかしながら、ボストロムの結論以外にも我々の位置に関して違う考え方ができる。もし、我々がSimならば、シミュレーション階層のある特殊な位置にいることができるのだ。我々は明らかにシミュレーターではない、つまり、階層のなかの底辺位置にいなければならない。もしもそのような底辺位置にいることがありえそうなことではないならば、そのような結論を出す仮説が怪しい。

Chambersは「壷モデル」において子孫が少ない確率が高いならば先祖が少ない確率も高いことを示した。UCは過去と未来という別種の証拠を同種にしてしまっているので無効であったが、シミュレーション論法においては有効だ、なぜならば、いくらかのシミュレーション・レベルを想定しているからである。下の階層が欠落していることが確からしいのは下の階層がないとき、すなわちシミュレーションなど起こっていないときだ。この推論は終末論法的な無差別の原理で記述できる。Lを最大の全体シミュレーションレベルとする。我々がどこかの階層にいる事前確率等しく1/Lである。また、あなたの階層世界に関する仮説A、Bがあるとして、AはBより階層がたくさんある。このときあなたの階層をxとすると、P(Lx|B)>P(Lx|A)となる。全体階層数が上がると与えられた仮説の尤度が下がるということはアプリオリな主張ではなく、ボストロムのシミュレーションコストに関しての想定に基づく。彼は「多数階層では底辺レベルのシミュレーターはとても計算コストがかかるだろう」としている。

 ではこの想定は、リニアなシミュレーション階層以外に、もっと複雑な階層構造に適用できるのか?例えば、階層が分岐していたときには?そのときは一つのシミュレーション世界は多数のシミュレーション世界を保有している。シミュレーションコストはそのような世界が増えれば増えるほど増えるため上のような論法はこの想定でも可能だ。「少ない祖先」UCはここでは「少ない現在人」UCとなり、シミュレーション世界が多数存在するという仮説の尤度を少なくしている。UCは経験的基礎のあるところでは使えない(誕生順ナンバーのある終末論法の反駁には使えない)が、シミュレーション階層やシミュレーション世界と我々をつなぐ経験的基礎はない。

UCは他の現実分岐論法に対しての反駁となるだろうか?たとえば、ジョン・ウィーラーの循環宇宙論ではビッグクランチ特異点の後ビッグバンが生じ、永遠に宇宙が循環する。人間原理によれば、それらの循環のなかで生命にとって都合の良い物理定数があるところに我々が生まれた。これに対してUCを使って反論することはできない。なぜならば、我々のいるのが循環宇宙の終点だという証拠はないからだ、また、全体循環の数が大きくなればコストが大きくなるということはない。シミュレーション論法とは証拠が違う。循環宇宙は特異点で因果連鎖が切れるが、シミュレーション世界は因果的に繋がっている。そのためシミュレーション仮説は循環宇宙論と違って、我々がなぜシミュレーターの存在を観察しないかアドホックな説明を必要とする(例えばシミュレーターが自分たちの存在に気づいたSimの記憶を操作しているなど)

 

6)結論

UCの失敗は終末論法とは主観的なベイズ主義に基づいていることを思い出させてくれる。その準拠集団は経験データに基づいているものだ。

Montonの終末論法は誕生順ナンバーの情報を欠くことで、UCと同種の物になってしまう。Sollarian Corollaryは単なる二つの人口比率のみで我々の位置を主張しており、経験的信念に関するコストを考慮していない。SCは人口比だけでなく背景情報も考慮しよという重要な教訓を教えてくれる。シミュレーション論法においては、そのような情報がある、我々はシミュレーターではないのだ。ボストロムはシミュレーターではない地点がシミュレーターである地点よりも多数あるとする理由は述べていない。このとき、UCを適用することができ、「少ない祖先」と「少ない現代人」の仮定を合理的に与えることができる。(なぜならば、終末論法においての先祖情報に匹敵するようなシミュレーション世界が実在する情報は存在しないからだ)

終末論法、UC、SC、シミュレーション論法に対する一般的な反対論として、準拠集団の選択が純粋な論理ではなく、適用の成功や背景的な形而上学・認識論においての想定に基づいているというものがある。

 上の論法において、唯一終末論法のみが準拠集団が適切であるといえる、少なくとも、確からしい想定のもとに我々の信念と矛盾しない結論を出している。

終末論法への反対論として、Chambersは自分は自分の父親よりも多い誕生順ナンバーを持っているためランダム化された人間だと考えることはできないとしている。これは、自身の誕生順ナンバーをランダム化を通して考えるか、自分の父親を通して考えるかによって確率が違ってくることを表している。終末論法の結論は、準拠集団の決定がどのような説明を経て決定されるのかによって違ってくるのだ。適切な準拠集団の設定方法ということは、この論文では言及しないが、例えば「ランダム化された炭素生命体」よりも「ランダム化された人間」という条件のほうがよいであろう。

準拠集団の設定とは、因果的法則論や斉一な性質パターンと関連すると思われる。赤いものを準拠集団としてグルーピングすることは特定の目的にかなっている、なぜならば、それらは同一な因果的性質を持っているからだ。同じように電子はとても適切な準拠集団だ、なぜならば、同じ電荷で同じ質量を持っているからだ。人間の同一性や自己意識を考えるならば、過去・現在・未来の人間が電子と同じくらい適切な準拠集団かどうか微妙だ。更に、Simとnon-Simが同じ準拠集団に入るとは思えない、たとえ内的経験が同じでもだ。Simはシミュレーション世界に存在し、non-Simは非シミュレーション世界に存在する。両者は違った法則的構造をしており違った反事実的条件により支持される。「人間」という準拠集団でSimとnon-Simの両者を扱うことができるとは思えない。一般的に、よい準拠集団とは強固な因果的法則的性質を想定しなければならないが、シミュレーション論法の準拠集団はよい特徴づけもなく強固でもない。もっとよい準拠集団の設定方法が発見されるまでは、シミュレーション論法は棄却され終末論法は支持されるであろう。