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【論文まとめ】「『コウモリであるということはどのようなことか?』統合情報理論からの回答/“What is it like to be a bat?”—a pathway to the answer from the integrated information theory【Naotsugu Tsuchiya(2017)】

今回は神経科学者・土屋尚嗣さんの論文をお送りいたします。

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論文の背景

 トマス・ネーゲルという哲学者は1974年に「コウモリであるということはどのようなことか?」という記事を書いた。コウモリは超音波で周囲の環境を知覚しているのだが、それはいったいどのような体験なのだろうか?この問題に答えるには、脳の状態と経験とを結びつけるような法則を与える理論が必要だ。
 もちろん、コウモリの意識について直接テストをすることはできないが、それを言うならば宇宙の起源や生命の進化についても直接テストをすることはできない。しかし、間接的な証拠から理論をテストすることはできる。意識についても同じ方法がとれる。経験的に有望な理論を直接テストできない問題に当てはめるのだ。ここでは意識の統合情報理論(IIT)を使う。
 この問題を解決する理論は脳活動のみを見て他者の経験状態を予測できるものでなくてはならない。どんな種類の経験かを脳活動のみから予測できれば理想的だ。
 さらに、動物の意識について予測できるものでなくてはならない。

 候補となる理論はいくつかある、それらの多くは「意識と脳のパズル」を解き明かしていない。意識のない夢のない眠りのなかでも人間脳は活発に活動している。そのため、単純に脳活動が多ければ意識となるとする理論は間違いだ。
 また、脳活動の『複雑性』を意識の必要条件または十分条件とする理論がある。しかし、大脳皮質の視床システムより四倍複雑な小脳が欠けていたとしても意識に影響を与えない。
 ニューロンの活動同期理論やグローバルな情報の有効性理論、再帰的フィードバック活動理論などはニューロンの短期間の活動や異なる脳部分でのコミュニケーションの促進といったものに意識の木曽を置いてきたが、それらは夢のない眠りでも起こっていることだ。また、別々の感覚の現象的差異を説明することはできない。脳のなかで同じようなメカニズムが起こっているのに、視覚と聴覚はどうして違うのか? について答えられる理論でないとダメだ。

 この問題を取り扱える理論として統合情報理論がある。統合情報理論現象学からはじまる。現象を観察して、意識には次の五つの根本的な性質があることがわかるだろう。それらを公理とするのだ。
①存在:意識は内在的に存在し、その経験は疑い得ない。
②構成:いかなる経験も様々な様態(視野、音など)から構成されており、各様態には様々なアスペクトがある(視覚的動き、表面、対象、色など)
③情報:意識は情報的であり、ある一つの経験は他の経験を排除した上で成り立つ。
④統合:経験の部分は、全体として一つに結びついている。異なったアスペクトバラバラではなく、結合した全体として統合される。
⑤排除:意識は有限の時空上のつぶであり、他の意識とはオーバーラップしない。

 統合情報理論は、この公理のもとで意識を発生させるメカニズムを探し出す。そのとき、重要になるのが統合情報Φである。
 例えば、上にあるランプと下にあるランプが結合されているところを考えよう。ランプはオンかオフの状態しか取らない。このとき、ありえる可能性は以下の四種類である。
上オン、下オン
上オン、下オフ
上オフ、下オン
上オフ、下オフ
 ランプは単位時間後に相方の状態をコピーする。現在状態が上:オン、下:オフであれば、その前の過去状態は上:オフ、下:オンである。もし現在状態が不明であれば過去状態も不確実となる。不確実性の程度をエントロピー(H)とする。エントロピーはシステムの可能なバリエーションを量化したものであり、log2(可能な状態数)で与えられる。
ここではlog2(4)=2 である。
 現在の状態を知った後のエントロピーは条件付エントロピー(H*)と呼ばれる。ここではH*=log2(1)=0
『情報』の概念は不確実性を減少させるものとして定義できる。数学的には相互情報Iと呼ばれ、H-H*として定義できる。ここではH-H*=2
 統合情報Φは全体システム由来の情報量Iから部分システム由来の情報量I*を引いたものである。Φ=I-I*。上の例では、もし二つのランプが分離されれば、各々のランプは現在状態を知ったとしても過去状態を知ることはできないためI*=0、ゆえに、Φ=2。Φはもしも全体システムが部分にカットされたらどのくらい情報が失われるのかを示す。
 Φはまた、システムの全体だけではなく、いかなるサブセットにおいても計算することが可能である。

 加えて、最小情報分割(MIP)と排外原理がある。
 MIPとはI*(部分システム由来の情報量)を計算するときにシステムをカットする最も適切な方法である。
 たとえば、先ほどのランプの例で、上がオン・下がオフの組と、上がオフ・下がオンの組が左右に並んでいたとする。 
 このとき、MIPは左右にカットすることである。そのとき、全体のφは0ということになる(残りの部分システムのφは減らないので)。間違って上下にカットすれば、全体のφは0より多くなる(残りの部分システムのφが大きく減るため)。
 MIPは排外原理と関係する。排外原理によれば、φが最大値をとるサブセットシステムが排外的な現象的性質を持つ。φが最大値をとるサブセットを『複合体complex』と呼ぶ。
 たとえば、互いに固く結びついたABCというシステムがあるとする。どの結びつきをカットしてもφの値を大きく下げる。ここで、Cと非常に弱く結びついているDという部分があるとしよう。ABCとDをカットしてもABCのφはほぼ変わらない、ゆえにこのとき全体システムABCDのφはほぼゼロである。複合体の外にある神経相互作用はいかなるものであろと非意識的なプロセスとなる(たとえば、脳の外にある網膜が独自の意識を持つことはない)
 IITによれば、感覚様態はその感覚に関わるニューロンの活動のみならず、他のニューロンとの相互作用によって生まれる。視覚は視覚ニューロンだけではなく、聴覚ニューロンなど複合体の他の領域との相互作用により生まれる。しかし、複合体の外での相互作用は非意識的プロセスとなる。

 

著者の主張
 IITを使って『コウモリであるということはどのようなことか』を経験的に理解することができる。

 

なぜそういえるのか?
 著者はIITを使って、簡単な課題をしている人間の脳活動パターンと言語による報告がIITの予想に即していることを示した。
 だが、コウモリに適用するためには非報告パラダイムが必要である。非報告パラダイムとは指示の上での意識操作や、身体シグナル(眼球運動など)を通じた意識内容の推定などを主軸とするデータ収集方法である。非報告パラダイムが必要なのは、報告行為と固く結びついている脳領域と意識の領域が別々であるとされているからだ。
 非報告パラダイムは動物に対して絶大な威力を発揮する。一度パラダイムを確立すれば、経験内容と統合情報パターンを比較することができる。だが、その比較方法はどのようなものなのか? 数学的な形式化ができる。カテゴリー理論を使うのだ。

 カテゴリー理論とは集合論のフレキシブルなバージョンである。これを使うと、異なる理論の間での定理の翻訳が可能となる(代数学幾何学のあいだ、論理学と量子力学の間など)。カテゴリー理論は対象間の『関係性』を抽出する理論だ。これをもって、正確な『類似性』を計ることができる。意識の異なるカテゴリー間(様態間、動物種間、数学的構造間)での比較ができるようになる。
 
 もしも、コウモリがエコロケーションしているときの統合情報が人間の視覚体験に近ければコウモリは超音波で『見て』いることになり、もし聴覚体験に近ければ『聴いて』いることになり、もし統合情報が非常に少なければ小脳のように非意識的な情報処理をしていることとなる。