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【論文まとめ】法則の様相的地位:ハイブリット見解の擁護 セクション4~6/The Modal Status of Laws: In Defence of a Hybirid View【Tuomas E. Tahko(2015)】

セクション4では、形而上学的に偶然だが法則的に必然である法則の例として、微細構造定数αとそれに基づくクーロンの法則が挙げられます。

セクション5では、ある法則は形而上学的に偶然だが、別の法則は形而上学的に必然であると論じられます。形而上学的に必然の法則の一つとして、パウリの排除原理(PEP)が挙げられます。

セクション6はまとめです。

セクション1のエントリはこちら

the-yog-yog.hatenablog.com

セクション2~3のエントリはこちら

the-yog-yog.hatenablog.com

 

 

Ⅳ 偶然的法則


 ハイブリッド見解のために、形而上学的に偶然だが法則的に必然である法則を挙げよう。少なくともある根源的物理定数は時間に依存して変化するかもしれない。たとえば、微細構造定数αは電子と陽子の質量比によるが、クェーサーの観測からαは変化しているとわかっている。
 微細構造定数は無次元定数だということを補足しておこう。電磁定数とプランク定数光速度の組み合わせから微細構造定数ができる。無次元定数の変化は、定数間の関係が変化していることを示唆する。αの変化は電磁定数の変動により説明されることが主流だが、光速度の変動が提案されることもある。
 αが実際に時間により変動しているということは、形而上学的可能世界のなかで定数が変動しうるという一見したところの証拠となる。このことは、微細構造定数を使用するすべての法則(クーロンの法則を含む)において、別様でありえた可能性を与える。
 だが、αの時間変動があるからといって、可能世界において法則が変動するといえるのだろうか? もしかしたら、αは特定の幅の中に納まるという法則があるかもしれない。αの変動は形而上学的に必然な別の法則の結果かもしれない。Marc Langeはαの変動は法則が一時的であることを示すのではなく、時間依存的な永久的法則を示すとして、反事実条件での法則の不変性があるとした。しかし、そこにはαの値を決めるのは独立した制限ではなく、形而上学的に必然な法則であるとするアドホックなコミットメントが必要だ。
 Langeはまた、個別の法則が形而上学的可能世界のなかで変動することができるという一般的な想定は問題含みであるとした。法則群とは法則性に由来して構成されるシステムであるとするのだ。法則性とは反事実条件的な仮定のもとでも抵抗力を全体としてもっている下位法則的(sub-nomic)な安定性のことだ。システムであるため、ひとつに統合されている。Langeのこの指摘は、著者が特定の法則よりも特定の定数にフォーカスする理由である。αを変更するということは、ひとつの法則のみならずシステム全体に普及するからだ。このアイディアでは、可能世界ごとにオルタナティブなシステムが存在するという想定を導く。Langeによると、「自然的必然性の様々なグレード」がある(EllisやBirdは強い必然性のみであるとする)。この論文では、グレードを認めるにしても、自然的必然性と形而上学的必然性という区別があるとして進める。
 
 ここまでの議論で、もしも、法則lが時間依存的に変化しているのであれば、少なくとも、lが形而上学的に偶然である一見自明の証拠となることを見てきた。しかし、形而上学的偶然性を保証することはない。lが時間依存的に変化するということが形而上学的に必然かもしれないからだ。だが、時間依存変化現象は、他の可能世界では変化率が著しく違うのではないかという想定を与える。
 時間依存的な法則はそもそも法則ではないという意見もあるかもしれないがそれは違う。もしすべての法則が時間依存的だと判明したとしても、法則性は保ち続けられるだろう。
 少なくとも、他の可能世界の法則は、現実世界の法則の時間依存性に敏感であり、ゆえに他の可能世界でも現実世界と同じ法則を持っていると明らかに言うことはできないくらいのことは論証できた。
 
 ここまでの議論をもとに、本質主義者に対しては次のような質問ができる。「なぜ、電荷粒子のふるまいを支配している法則の形而上学的必然性について説明するのに、粒子の本質が必要なんですか?」「たとえ、本質主義者の説明が基本的に正しくても、関連する別の本質が、法則により特徴づけられているものの必然性を担うことはあるんじゃありませんこと?」「さらには、たとえ根源的自然種を特徴付けているもっと『特権的』な法則があったとしても、我々が観測しているような規則性は単なる形而上学的偶然なのではないかというヒューム主義的発想を禁止するものがなくってよ」

 それらの質問に対して、本質主義者がする乱暴な返答は「特権的でない偶然法則は、もっと根源的で必然的である法則に根拠付けられるのだ」というものだ。しかしながら、微細構造定数は根源的な法則であるクーロンの法則にかかわっている。αの変動をもっと根源的な法則から説明するのは新しい物理学が必要であり、難しいことだ。

 このセクションの議論は、「すべての法則は形而上学的に必然」だとする立場への反論になるものだった。潜在的な解決策として、同じ定数群を与えるような境界条件を必然的法則とすることだ。しかし、この解決策は法則の形而上学的必然性を導くことはできない。同じ定数群を持っているのにもかかわらず、その値が劇的に変わり、世界の間で法則(それらの法則は自然種を特徴付ける)が違うということがありえるからだ。

 

Ⅴ 必然的な法則

 

 ここまでは、すべての法則が根源的な自然種を特徴付けるものではないということを見てきた。この見解は、根源的自然種を特徴付ける法則もあるという立場と両立するものだ。このセクションでは、ある法則は根源的自然種を特徴付けるものであり、それは形而上学的必然性の地位を持っていると論ずる。
 
 このセクションで論ずる命題は以下のものである。
(COND-MET):もし真正なる自然種があれば、その自然種のみを特徴付けるような法則は形而上学的に必然である。また、そのような法則のみが形而上学的に必然な法則である。
 この命題はハイブリッド見解の存在論的基礎になるものだ。

 ケーススタディとして、PEP(パウリの排除原理)とフェルミオンを見てみよう。フェルミオンが同じ時刻に同じ量子状態にならないというのは、PEPにより特徴付けられている本性(のひとつ)の振る舞いである。PEPによる様相制限、たとえばスピンの値が半整数であるということはフェルミオンの本質である。なぜならば、そこが違うとフェルミオンではなくボゾンになってしまうからだ。フェルミオンとボゾンは真正なる自然種の候補となるだろう。
 PEPは形而上学的に必然的な法則の候補の一つとなる。たとえ、PEPが必然的でなくとも、物質の結合や安定性を特徴付けるPEPに似たような法則は必然的であろう。もしも、いかなる結合的な振る舞いもすることがない宇宙が形而上学的可能であれば、それは反例となりうる。しかし、判例になりうる宇宙はフェルミオンを含んでなければならない。(たとえば真空しかない宇宙はPEPに制限されるようなものを含まないので反例にならない)。一見、反例となりうるような宇宙における「フェルミオン」は実はフェルミオンではなく、ボゾンとして振舞うであろう。結合的振る舞いのない宇宙はフェルミオンのない宇宙なのだ。ゆえに、反例を持ち出すことはできない。
 もちろん、ここでの議論は反quidditismを前提としたものだ。性質の同一性というものは裸ではないとする。
 もしも、形而上学的可能宇宙のなかで、PEPの類似物に制限されていないフェルミオン*があったとしよう。quidditistはフェルミオンフェルミオン*の同一性をはかるツールがあるとする。しかし、この議論ではquidditistのほうに論証責任があるだろう。
 フェルミオンの事例はquiddismへの反証となるかもしれないが、ここでは深く突っ込まない。

 

 Ⅵ結論

 

 ハイブリッド見解の強みは、単一の事例では反駁できないことだ。ある法則は形而上学的に必然で、ある法則は形而上学的に偶然だという立場は、科学的・傾向的本質主義とヒューム主義のどちらにも部分的に賛成している。新たな事例が出てきたら、ある法則についての見解を改めることができる。
 想定される反論に、ハイブリッド見解が正しいとしても形而上学的に偶然の法則はそもそも法則といわないというものがある。もし望むのならば、偶然の法則を何か別の言葉を使って呼べば良いだろう。おそらく必然の法則を「強い」法則、偶然の法則を「弱い」法則と呼ぶのも良いだろう。著者としては「ハード」と「ソフト」のほうの区分のほうが良い。
 ハイブリッド見解は、法則は自然種の本性や本質から生まれると説明する点で科学的・傾向的本質主義者のほうに近い。ヒューム主義者や法則的必然性主義者は形而上学的に必然の法則の様相的力を説明することは困難だろう。PEPは少なくとも、形而上学的な様相制限を与えるということが示されている。