「空間(時空)は根源的には存在していない」物理理論をそう解釈する説が賑わっている。この説は「時空は存在しない」もしくは「時空は派生的である」という二つの読み方がある。
著者はその読み方の二つともが存在論的にコストが大きく、代わりに、「時空は非時空的なもの(entities)から構成されている」という物理理論の解釈が妥当であるとする。そうすると、時空の実在性について否定する必要はなくなる。
- 1、現代物理学における空間と時空の復権
「時空は根底的に存在していない」という主張は、量子論と量子重力理論から出ている。しかしながら、時空は存在しないという立場は哲学的にはかなりラディカルだ(ライプニッツでも、時空を関係性と同一視する)。このように、時空について我々が真であるとしているのは偽であるという立場を消去主義とする。
一方、時空(or空間)の派生主義では、自然には二つの階層があり、空間レベルはより根源的な非空間レベル構造体から派生していると見る。
この二つの立場と対比して、著者が採用する立場はメレオロジー的な束説(mereological bundle theory)である。時空(or空間)は極大構造(宇宙全体)の適切な部分を集めた束であるという立場だ。
「創発」という用語は哲学と物理学では異なって使われる、哲学での「創発」はこれまでになかったものや性質や力能が生み出されるという意味であり、還元主義に反対する。
一方で、物理学においては創発は還元主義と両立するとされる。
ここでは、物理学においての「創発」を採用することにする。
「空間が存在しない」とする物理理論は、波動関数実在論とループ量子重力理論がある。
波動関数実在論では、3次元空間はもっと根源的な3N次元空間により構成されるとする。Nとは根源的物理粒子の数である。
このアプローチでは、波動関数は単なる数学的ツールではなく、特定の物理システムの性質を描写したものであるとする。波動関数は通常の空間とは別のエグゾティックな空間にあるものなのだ。
波動関数実在論では、量子力学の非局所性を「高次元でおける同じ位置を共有しているからだ」と説明する。
波動関数実在論では、時間については否定せず、マクロな状況と同じであるとする。
ループ量子重力理論では、時空は実在の根源的レベルではなく、「スピンネットワーク」(ノードとノード間の関係性)といわれるものが根源にある。3次元のスピンネットワークを動的にすると、「スピンフォーム」という4次元システムが手に入る。この「スピンフォーム」によって一般相対論の成功を説明することができる。
さらに、相対論的時空はもっと根源的なスピンフォームから派生した一つの構造と考えることができる。
これらの理論を見るに、二つの問題がある。
問題①:構成された時空の形而上学的な地位はどんなものだろうか?
問題②:なぜ特定の空間が構成されて、他の空間ではなかったのか?
- 3、空間なし?
時空の消去主義においては、時空は実在の構成要素ではない。
派生主義においては、実在の階層というものが導入されるが、消去主義はそれにコミットメントしない。
しかし、消去主義者は、時間と空間の一般的特徴(トポロジカル・メトリカルな側面)をも否定しなければいけない。現象学的な時空の背後に非空間的・非時間的関係性を持って来なければいけない。このような試みは物理学者から明確に出されていない。
- 4、派生的空間
時空の派生主義においては、時空は派生的に実在しているものであり、根源的ではないとされる。
派生主義は日常経験や一般相対論の成功を説明する(それらは派生的な実在についての理論である)
派生主義は「時空は存在し、時空は根源的ではない」と主張する。つまり、時空は派生的存在だが、根源的存在ではないということだ。
しかし、派生主義は次のような問題がある:「自然的世界には根源的構造と派生的時空という二つの階層があることになる」
二つの階層の関係はなんだろう? 一つの解釈は基礎付け関係であるというものだ。しかし、著者は基礎付け関係は説明のための関係であり、心的に独立していないため、ここではビルディング関係という存在論的な関係を採用したほうがいいと言う。
二つの存在論的階層を要求する派生主義は、存在論的コストが高くなる。階層を否定して、それは描写の粗さだというと、消去主義になってしまう。
存在論的コストは致命的な問題ではないが、もしもそのコストを払わずに同じ説明能力を持つ説があれば、そちらに鞍替えした方が良いだろう。
- 5、メレオロジー
著者が唱えるメレオロジー説によれば、「派生的構造」とは「非空間的ビルディングブロックのメレオロジー的和」である。(メレオロジーってのが良くわからないが、ここでは、「集めれば一つのものになる」ぐらいの感覚でいいのかな?)
「根源的構造と派生的構造」の区別に代わっては、著者の立場では「極大的構造と部分的構造」を導入する。
空間は部分的構造である。
さらに説明のために、二つの主張をする。
主張①:この説において、空間的関係の和が空間になることはありえる。ゆえに、空間は関係的か実体的か、空間的関係の集合なのかそれとも実体をプラスしなければいけないのかという論争には立ち入らない(どちらとも両立する)。
主張②:空間的ビルディングブロック(空間的関係)はもっと細かく見ると非空間的ビルディングブロックにより作られている。
- 6、空間のメレオロジー的な立場
著者の説は、パウルという哲学者が唱えた「物質的対象の束説」という哲学的立場を参照して組み上げられたものだ。
「物質的対象の束説」:物質的対象は性質の束であり、その性質を例化する実体はない。性質は「束関係」によりまとめられている。この関係は「メレオロジー的構成」と同一のものだ。
性質は物質的対象の「論理的部分」である。
「論理的」とは、部分と全体の関係が単に実在において成立しているというだけではなく、カテゴリーにおいて成立しているということだ。
ある形而上学的カテゴリー(たとえば性質)が別の形而上学的カテゴリー(たとえば対象)を構成するということだ。
パウルの説に則り、「空間のメレオロジー的束説」を考えてみよう。3次元空間や4次元時空は別の形而上学的カテゴリーの論理的部分だと解釈することができる。
「空間」は「メレオロジー的原子のカテゴリーをまたいだメレオロジー的和」(ボトムアップ的表現)または「極大構造の適切な部分、だけど別のカテゴリー」(トップダウン的表現)だということができる。
「カテゴリーをまたいだ構成」には二つの機能がある。
機能①:空間的(時空間的)関係を構成する。
機能②:空間的関係のつながりを構成することで全体としての局所性を持つ空間システムを構成する。
ループ重力理論の一般相対論的な時空(出来事や点との間の関係性に局所的な秩序があるように構成されたシステム)を例にしよう。メレオロジー説によれば、秩序的な関係性とは、「極大構造の適切な部分のメレオロジー的和」と数的に同一である。
①構成されたものが必然的に対象となるわけではない。
②メレオロジー的な素子(simples)が性質じゃないといけないわけではない。
③性質例化はparthood(「部分であること」という関係的質)ではない。
④「部分は全体よりも根源的」ではない。
①:パウルはメレオロジー的原子から構成されるものは対象としているが、著者は時空的関係性も構成されうるとしている。
②:空間のビルディングブロック(スピンネットワーク、エネルギー、3N関係性など)は特定の物理学的カテゴリーに属する。そのようなカテゴリーが形而上学的にはどのようなものなのかは、今後の探求に開かれている。
著者は物理学者が見つけるようなメレオロジー的に根源にあるものが全部同じカテゴリーに属するとは思えないとする。
③:パウルは自然的例化(natural instaniation)がparthoodであるという主張をしている。つまり、自然的対象が自然的性質を例化するのは、その性質が適切な部分である場合のとき、またそのときのみであるという主張だ。著者はこれに反対する。たとえば、性質と関係が「他の現実にあるものとつながっている」という事実のみによって例化するとする説は可能である。※ここはぜんぜんわからなかった…
④:もっとも重要な差異である。パウルは部分は全体よりも存在論的に優先されるという階層的な立場を採っている。しかし、メレオロジー的束説自体はどちらが存在論的に優先されるかという問題には中立的である。著者の説は、このことにより、派生説よりも存在論的コストが少なくてすむ。
著者の説は、説明されない原始的理論概念が必要となるが、どのような説においてもそのようなコストは必要になってくる。
- 7、結論