水槽脳の栓を抜け

SF作家 草野原々のブログ

【論文要旨】宇宙は数学ではない/『「数学的宇宙」へのいくつかのコメント』

Jannes, Jil(2009) "Some comments on "The Mathematical Universe""

link.springer.com

 

一行で言えば?

 宇宙は数学だ!という説があるけど違うよ。

 

どんな背景なの?
 この論文は『数学的宇宙』という考え方を批判したものだ。数学的宇宙とはこの世の根源はすべて数学的構造により還元できるという考え方だ。
 数学的宇宙仮説をとなえるTegmarkは、最初に外的実在仮説(External Reality Hypothesis/ERH)からスタートする。これは「完全に人間と独立した外的な物理的実在が存在する」という仮説だ。次に、数学的宇宙仮説(Mthematical Universe Hypothesis/MUH)を展開する。これは「外的な物理的実在とは数学的構造だ」というものだ。数学的宇宙仮説は外的実在仮説を真剣に受け止めた結果だという。完全に人間と独立した外的世界の描写は、物理的対象の性質なしの純粋数学的構造となるからだ。さらに、様々な数学的規則性が自然には存在し、その結果、すべての可能な数学的構造を持ったマルチバースが存在するとTegmarkは論じている。

 

著者はどんな主張をしているの?
 Tegmarkは間違っている。


なぜそのような主張をしているの?
 Tegmarkは外的実在仮説を自明としているが、妥当な論証がなく論点先取だ。
 数学的宇宙仮説においては、三つの問題がある。一つ目は、外的実在仮説は数学的世界ではなく物理世界にコミットすることだ。プラトンイデア論は物理世界は幻覚であるとしてこの問題を片付けるが、Tegmarkは数学的構造から観測された内容が創発するとしている。
 しかし、物理的性質は数学的構造で現せないこともある。例えば、古典力学においてのHamilton-Jacobi methodでは調和振動となるか非調和振動となるかは物理的システムの選択により決まる。
 三つ目の問題は、完全な実在を描写するためには人間から独立した言語を必要とするとTegmarkが論じていることだ。しかしながら、ほとんどの動物には数学について限定的な能力しかない。数学は観測者依存的な言語であるかどうかという問題は経験的な問題であり、原理的に解けるものではない。経験においては、数学を人間の構築物としたほうが確からしい。
 Tegmarkの数学的実在論に対して、もっと穏やかな立場は数学を人間の構築物のひとつとするものだ。これは直観主義構成主義にコミットするのではなく、プラトニズムの否定を意味する。数学の有効性を理由付けるためには、数学的世界を仮定せずとも、柔軟な抽象的道具だとすれば解決する。
 Tegmarkは数学的構造そのものが宇宙であるため、昔発見された数学的構造が新しい状況にどんどん適用することが可能であり、その果てには数学的なマルチバースがあるとしている。多数の数学的構造が存在するが、それらは物理的実在を含まないからである。
 数学的宇宙仮説は、この宇宙にユニークな究極の物理理論があり、それは必然的に数学的構造であるがゆえに、宇宙とは数学的構造であるとする。このような数学的実在論を拒否する道は二つある。悲観的なほうは数学とは時空や物質などの根源的レベルの探求おいて十分な言語とはならないというものだ。楽観的なほうは数学はいかなる宇宙(存在する宇宙も存在しない宇宙も)をも記述することができるが、万物理論の選択には数学のみでなく物理的な実験値が必要になるというものだ。現実の物理学においてはそのようなことが多いことが知られている。例えば、数学的に完璧な対称性は自然界にはめったに存在せず「対称性の破れ」が見られる。