心の哲学
●二元論における二つの問題
○心物因果の問題:非物理的原因が物理的原因を動かすのは念力のようなもの
○過剰決定の問題:心的状態と物理的状態という二つの原因が身体行動を決定していることとなってしまう。しかし、どちらか単独で十分な原因のはず。
●心脳同一説:各タイプの心の状態は特定のタイプの脳状態と同一である
例:「カレーが食べたいな」とする心の状態群aは、一連の脳状態群αに他ならない。
反論:痛み感覚はC繊維興奮タイプと同一だとすると、試験管の中でC繊維を興奮させていたら痛みがあることとなってしまう。
●機能主義:各タイプの心の状態は、特定の機能(どのような因果的役割を果たすか)で定義される状態である。
例:カレーの香りの知覚は、カレー臭による物理的刺激を原因として、カレーを食べたいとする欲求などを引き起こす機能的状態
いろいろな種類の物質により同じ機能を果たせる(同じような因果的役割があればよい)
●クオリアによる物的一元論批判
○クオリア逆転
○クオリア欠如 →同じタイプの物理的存在が違うタイプの心的状態になることは可能
反論:想定可能であるが実際に可能でないことがある(一気圧のとき水が80℃で沸騰することは想定可能であるが、実際には不可能)
再反論:水の場合は、物理的にあますとこなく書き示せば一気圧のとき80℃で沸騰することが不可能だと分かるが、意識はそうではない
●知識論法による物的一元論批判:全ての物理的知識を知ったとしても、新しい経験的知識を学びえる
反論:同じ一つの事実を異なるやり方で知ることができる(あるものが1メートルであることを知ったとしても、1,1ヤードであることを新しく知ることができる)
●志向性:何かを表したり意味したりする働き、「雨が降っている」という文や富士山の絵は雨や富士山を表すので志向性を持つ
●構文論的構造:どこでも共通に使える構成要素(文脈独立性のある要素)が構成規則(文法)により組み合わされる構造。言語はこの特性を持つ。
●志向的特徴と内在的特徴:表象により表されている特徴が志向的特徴、表象自体に備わる特徴が内在的特徴(「青い」という語において青いということが志向的特徴、二文字でできているなどの性質が内在的特徴)。言語は内在的特徴を共有できるが、絵画は共有できない。
●命題的態度:信念・欲求など「~ということ」と表現できる心の状態。構文論的特徴をもち、言語に類する。
心脳同一説や機能主義が正しければ、脳状態(脳の機能状態)もまた構文論的特徴を持つはずだ
●クオリアの志向説:クオリアを志向性の一つとして理解しようという説、クオリアは心の内在的特徴ではなく、心によって表象されている志向的特徴である
心がどのように対象を表象しているのかが理解できれば、クオリアを物的一元論で理解できるとする。
●物的一元論による志向性の説明:
○因果的説明:XがYを表象するのは、YがXの原因であり、その間に安定した関係が存在するとき(知覚の原因が目の前の木であり、目の前の木は安定して知覚と関係すれば知覚は木を表象する)
反論:「誤表象問題」悪条件のもとでは、木が幽霊に見え(木が原因で幽霊の知覚が生まれ)、その関係が安定的であることがある。そのとき、因果的説明によると幽霊の知覚は木を表象していることとなる。
○目的論的説明:心が信念や知覚を表象しているかどうかは、そのとき実際に欲求を満たす行為が生じるかどうかで決まる(目の前に水があるとき、水があるという信念は水を飲むという行為を満たし、表象は真となるが。目の前に毒物があれば、水を飲むという行為を満たせないため、「水がある」という表象は偽となる) 欲求の表象は進化論的に説明できる。
反論:自殺したいという進化論的に説明できない欲求がある。進化論的系譜がないロボットなどの表象はどうするのか?スワンプマン問題
●合理性:命題的態度が他の命題的態度や行為を理にかなったものにする関係。合理性を元とする説明を合理的説明(または解釈)と呼ぶ。
●機能主義と合理性:機能主義によれば、合理性が成り立てば因果性が成り立つ(機能状態とは合理的な因果関係を成立させる役割である)
→合理的関係は脳などの因果的関係により成り立っている
●消去主義:脳状態には構文論的構造が存在しないため、命題的態度の実在性を否定する立場。その根拠となるのは脳神経のネットワークは複数のものごとを個別にではなく全体に分散して表象していること(コネクショニズム)。命題的態度はフロギストンのように誤った理論存在である。
●解釈主義:命題的態度の合理性は因果性から自立しているため、脳状態に構文論的特徴がなくとも命題的態度は消去されないという立場。立場では命題的態度の本質は合理性である
反論:不合理な命題的態度の関係もあるのではないか?
●命題的態度の不合理性:自己欺瞞的な信念と自制を欠いた行為→これらは居所的なものであり、背後に大多数の合理的な関係があり、例外的に不合理的な関係がある。
●他我問題:他者に心があることをいかに知ることができるかという問題
二元論を仮定→直接認識できるのは物理的存在のみであるから解決が難しい
○類推説:自分の心と行動には相関関係があるから、それを他者にも適用して他者の心を認識できる。問題:たった一つの事例だけを一般化はできない。
行動主義を仮定→他者の心とは他者の行動傾向なので心を認識できる。
●心の全体論的性格:行動と結びついているのは単独の心的状態ではなく、複数の心的状態が全体として結びつく(タクシーに手を挙げるのは、タクシーを止めたいという欲求の他に、タクシーが移動手段であるという信念や、タクシーに手を挙げれば止まるという信念やほかたくさんの心的状態と結びつく)。全体論的な行動主義が解釈主義である。
●自己知の問題:他者の心の状態に関しては、証拠がなければ判断できないにもかかわらず、自分の心の状態は証拠に訴えるまでもなく正しくわかるのはなぜか?
●自己知の不可謬性:Sは自分の心の状態がMであると信じていれば、心の状態はMである
●自己知の自己告知性:Sは自分の心の状態がMであれば、自分の心の状態がMであると信じている
→反例:自己欺瞞
●自己知の直接性:自分の心の状態がMにあるという信念は、他人が自分を見てMにあるとする信念と異なり、直接的に形成される。
●内観:自分の心の状態を非推論的に知覚する能力。他者の行動を知覚することも非推論的過程であるが、他者の信念は知覚を元に推論しなければならない。内観は不可謬だとされる。二元論的な説明のため現在ではあまり支持者はいない。
参考文献
金杉武司『心の哲学入門』