水槽脳の栓を抜け

SF作家 草野原々のブログ

ストーリーはどのような存在者か?【高田敦史(2017)】

ストーリーとは出来事であり、物語が示す命題(内容)ではない。ストーリーはキャラクターと同じような存在者である。物語性(物語の特徴)を担っているのは、出来事としてのストーリーである。ストーリーが出来事であることを念頭に置けば、作品間でストーリーを移植することや、ストーリーの同一性が曖昧なことが良く理解できる。

 

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物語:ストーリーを語る表象

物語の(典型的)特徴:比較的少数の人や物に関わり、因果的結びついた(統一性のある)個別的な出来事や事実についての記述(フィクションであるかは関係ない)
物語性には程度がある:物語の特徴をたくさん持つ表象は物語性が高く、少ない表象は物語性が低い(カリーが提唱)
この論文の問題意識:物語性の担い手はどのような存在者か?

ストーリーの命題説:ストーリーとは「物語によれば真であること」である。(つまり、物語が提示する内容)
ストーリーの出来事説:ストーリーとは「物語が話題にしている出来事」である。(つまり、物語の外部に存在する出来事)
上の二つはいったいどこが違うの?:命題説においての内容は抽象的であり、時空的位置を持たないが、出来事説においての出来事は具体的であり時空上に位置を持つ。
ノンフィクションの場合、両者の違いは明白:二つの歴史書が些細な記述で食い違っていても、「同じ出来事を扱っている」とはいえるが「同じ内容である」とはいえない。
フィクションの場合、両者の違いは微妙:架空の出来事は時空上に位置を持たないため
それでも、両者の違いはある:物語が話題にしている出来事はフィクション世界内の存在者だが、物語が語る内容は現実世界の存在者である。

この論文での「出来事」:①特定の時空間に位置づけられる具体者。②複数の異なる記述により一つの出来事を指示することができる。③ある出来事が複数の出来事により構成される場合がある。(デイヴィッドソンによるもの)

虚構的真理:「このフィクションにおいて」というものが発言の頭についている限りにおいて真なる事柄
フィクショナルオペレーター:「このフィクションにおいて」
虚構性(fictionality):作品の内容だけではなく、鑑賞者の態度や行為にも適用される広い意味での虚構的真理(ウォルトンが提唱)
ウォルトンのメイクビリーフ理論:何かが虚構的であることとは、ごっこ遊びのゲームのなかで想像すべき事柄であるということだ(虚構的存在に対する鑑賞者の態度や行為はすべて想像上のフリである)
メイクビリーフ的態度:ごっこ遊びのなかでなされる想像

 

この論文の立場:ノンフィクション物語のストーリーは出来事であり、フィクション物語のストーリーは虚構的出来事である。
虚構的出来事:現実には存在しない、もしくは現実において(法や契約のような)抽象的な文化的人工物である。
この論文の立場への反論:虚構的出来事は出来事と呼べるような存在者ではないため、ストーリーが統一的な存在者でなくなる。
反論への応答:フィクションのストーリーはそもそもストーリーとはいえない。ホームズが人でないのと同じだ。

問題意識ふたたび:ストーリーは物語性の担い手となれるか?
命題説では、ストーリーは物語性の担い手にはなれない:ストーリーは物語のテキストから独立することができないから
出来事説では、ストーリーが物語性の担い手になれる可能性がある:ストーリーは物語のテキストと独立に特徴を持つことができるから

物語性の担い手は(部分的に)ストーリーであること(ストーリー構成説)の根拠。
物語の特徴づけは実際にはストーリーの特徴づけである:因果関係などは出来事が持つ性質であるので。この出来事が持つ性質を「経緯」と呼ぶ。

ストーリーは出来事であることの根拠
ストーリーは移植することができる:ストーリーは異なる作品やメディアに移植することができるが、命題説を取った場合、内容が変化しているため同じストーリーを移植することができなくなる。
移植についての三つの説明:混合説による説明・改良型命題説による説明・出来事説による説明
混合説による説明:ストーリーは物語により語られた出来事を含むが、それ自体は出来事ではない(抽象的存在者であり、時空的位置をもたない)
混合説の問題点:ストーリーに何が含まれているか決定する方法がない(物語とストーリーの関係性がはっきりしないので)

改良型命題説による説明:「ストーリーの移植にあたって求められるのは、厳密な同一性ではなく、緩やかな類似性である」
改良型命題説への反論:演出を変えて悲劇を喜劇にしたとするなど、同じストーリーだが類似性はない場合がある。

出来事説による説明:ストーリーは特定の複合的出来事(経緯)なので、それは様々な記述により特定できる。ストーリーの移植は、キャラクターの移植と同じように考えられる。

キャラクターの移植反実在論実在論どちらでも形而上学的問題はない
反実在論においてのキャラクターの移植:キャラクターは存在せず、ごっこ遊びにより存在するフリをしている。移植とはごっこ遊びゲームの拡大である。
実在論においてのキャラクターの移植:キャラクターは法や契約などといった抽象的文化的人工物である。移植とは、創作物としてのキャラクターに対する新たな想像であり、移植作品におけるキャラクターは現実においても原作キャラクターと同一である。

ストーリー移植とキャラクター移植の類似性:どちらも単なる偶然的類似だけでなく、元の作品を適切に知っていなくてはならない。また、重要な部分が保持されていなくてはいけない。

ストーリーの同一性基準のあいまいさの説明:出来事説においては、ストーリー同一性基準が曖昧であることが説明できる。キャラクターの同一性と同じように、ストーリーに対しても鑑賞者の相対的判断で同一性基準が分かれる。