●定義的自然主義:
何らかの事実により「善い」ということが定義できる。(スペンサー:善いとは進化状態が発展したことである。ミル:善いとは功利の増大である)
●ヒュームの法則
「である」から「べきである」は導き出せない。
●サールの反論
言語についての事実、社会的約束事についての事実、約束を打ち消すようなことはないという条件
から「べき」という命題が導き出せる。
再反論 導き出せるのは「べきであることとなっている」のみ
●ヒュームの法則の使い方
「である」から「べきである」命題が導き出されるとき、隠れた「べきである」命題が前提にある
暗黙の前提:言葉の意味についての前提だと解釈
前提1:XであるならばYである
前提2:「Yである」という言葉の意味には「Zすべきである」という意味が隠されている
結論:XであるならばZすべきである。
●ムーアの自然主義的誤謬:
「善い」という定義できない言葉を定義してしまう過ち
未決問題:快楽が善いことであるとすると、「快楽は善いことなのだろうか?」という疑問は「快楽は快楽なのだろうか?」というトートロジーになるが、そうではない。「~は善いのだろうか」という疑問は決定している疑問(トートロジー)とはなりえない。
→倫理的な概念はその他の概念を使って定義することはできない
●形而上学的自然主義:
論理的必然性「快楽は快楽である」
形而上学的必然性「水はH2Oである」:一度水がH2Oだと分かれば、全ての可能世界での水はH2Oとなる(そのように指示される)
「Xは善いか?」は「水はH2Oか?」と同じレベルの問いとなる
●ムーアの直感主義:
「Xは善い」は「善い」の定義ではなく、道徳的直感により正しいかどうか判断される。それは、ある種の事実についての判断だが、それは道徳的直感以外で知覚することはできない。反論:道徳的直感が一種の超能力になってしまう。
●情動主義:
非認知主義の一つ。「Xは善い」は事実を述べてはいない。「善い」「悪い」は感情を持ったとき発せられる感嘆詞やブーイングのようなものであり、正しいも間違っているもない(エイヤー)
「善い」という言葉には自分がそれを是認するという事実と、相手に対して同じことを是認させようとする情動的意味が含まれる(スティーヴンソン)
反論:情動主義は倫理の合理性を探る試みを破壊する。「~べきだ」と「~は好きだな」が同一のものとなってしまう。
●普遍的指令主義(ヘア):
非認知主義の一つ。「Xは善い」とは「Xには一定の性質があり、だからXをお勧めします」ということ。性質の面で、二つのものが完全に同一であれば片方のみを善いとすることはできないため。また、道徳的判断は普遍化可能(ある性質に判断を下したら、同じような他の性質にも同じ判断を下したこととなる)→倫理について合理的な理論が可能となる。しかし、ここで排除できるのはあるルールを自分の都合で適用したり適用しなかったりする人のみ。異なるルールを厳格に適用する人同士は合理的に議論ができないこととなる。
●外在主義と内在主義
認知主義-非認知主義とは別の区分。
外在主義:「善い」と「それをしたい(動機)」の心理的な結びつきは、外からの教育や条件付けにより与えられている。
内在主義:「善い」ということのなかに「それをしたい」が入っている(「善い」の判断により「それをしたい」という判断をしている)
非認知主義者は内在主義者だが、認知主義者にも内在主義者はいる(何かを知っているだけで動機付けられるとする感受性理論など)
参考文献